日本を棄てる決意を決定付けた出来事

citizenship

今回の一件で日本を棄てて良かったと心から思う。

近代文明学総論

筆者がオーストラリアに住んで居た時、オーストラリアは二度手間の国であり日本が片手間の国と呼んでいた事がある。
これは社会より個が先に来る普遍主義諸国は末端の当事者が重要視される為に仕事が一度で済む事が少なく慣れる迄は苛つかされる事も多い、方や個より社会が先に来る日本、つまり個を片手間に扱う国では末端の事務が秩序立っている為にスムーズに進むと言うことである。
又その頃造語した言葉に近代文明学総論というのがある、これは日本は近代文明の技術的側面詰まり近代文明学各論は完璧なのにも関わらず、近代文明の根幹を成す普遍主義詰まり近代文明学総論に関してはからきし駄目だということである。

日本は明治維新以来持ち前の器用さで洋才を身につけあっという間に列強の仲間入りを果たした、これに慢心して第二次大戦では大敗を喫してしまったが、その後の経済成長にも目覚ましい事がある。
筆者はこれは全体主義の日本の社会にアメリカのプラグマティズムを持ち込んだ為に人間がロボット化して目覚ましい発展を遂げたと言っていたが、最近になってアメリカの呪縛が解けた途端に従来の全体主義的秩序は崩れて行こうとしている。
日本人は各論は優等生なのであるから、総論さえ学べば再びアジアの最強の国になる事は可能である。

元々日本の文明は西洋の文明とは違うのであるから、西洋の文明である近代文明をそのまま取り入れるのは難しい、然し乍ら近代文明の均質化(普遍性)の波から日本の伝統と文化を守る為にも洋才ならぬ洋魂を学ぶ事は必須である。
筆者は自由、平等、博愛が普遍主義の信念であり、国籍を超え、年齢を超え、性別を超えるのが普遍主義の実践であると言うが、言うは易し行うは難しである。

自由、平等、博愛は昨今のテロ事件を見ても、西洋人にとってさえ理想論であり実践は難しいものなのである、特に自由を必要としていないイスラム諸国に自由を押し付けるやり方は、自由を必要としない自由を否定するものであり素直に受け入れられないものである。

筆者は何も自由、平等、博愛を実践せよと言っている訳ではないが少なくとも理解する事は必要なのだ。
西洋人にも受け入れが難しい自由、平等、博愛を、日本人は押し付けられた憲法と言いつつ、人類普遍の原理である基本的人権が努力も無しにそこに用意されている物と信じている嫌いもあるから不思議である。

このまま近代文明の均質化に身を任せていて良いのか、日本は近代文明学各論は優等生なのであり、技術大国として世界で生き残る為にも近代文明学総論(洋魂)を学ぶ必要がある、今なら未だ間に合うのだ。
筆者は日本を腐そうとしているのではない、日本を愛するがこそ欠点を指摘しより良い日本を目指し前進して欲しい一心から必死なのである。

そうこうしている内に決定的な出来事になってしまったのは筆者が何気なくフェイスブックに投稿したこの一文である。

「もうこの世のお終いならパアッと狭い日本を飛び出して何処でも行きゃ良いのだけど、住民票抜いた時の大変さとか色々思い出して気が重くなるのよな、執着ってのがいかに邪魔するかって事よ、南無。」

44年米国に滞在しご母堂の逝去の為遺産問題を解決する為に帰国した同級生が次のように僕の日本批判のコメントを抑え付けるように「日本はいいところです」と僕の言葉を遮るようなコメントを送って来たのである。
彼は間質性肺炎を患っていて常に酸素吸入が必要な状態なのでそれ以上論駁する事も出来ず、麻布の同級生でさえこのていであり、いわんやパンピーおやと思い反論を止まったのだ。
少し前に帰国歓迎会の席でも、悲壮感漂うスピーチで自分は日系移民一世としての自負を持っている、自分は米国のシチズンシップを申請すると涙を堪えながら語ったばかりだったのだ。
その時この論旨をすり替え、短絡する帰国以来悩まされて来た日本人の論理構造に嫌気がさしていた自分は徹底的に争う気にもなれず以来フェイスブックのみならず日本の社会から身を引く事にしたのである。

以下はアマゾンから出した『左様ならニッポン』に載せる積りで纏めたが余りに挑発的なので差し控えた物を加筆修正したものである。

同級生K

「僕は、想定外の帰国、滞在になりましたが、今のところ四四年ぶりの浦島太郎にしては、日本の軽シャーショックはおおむねポジティブな方向で、日本んの生活のいい部分を評価するようにして、快適に過ごしています。日本はいいところです。」

柳田

「お言葉を返すようで恐縮ですが、それはアメリカ人のK氏の見解と受け止めてよろしいのですか、そりゃ僕だってアメリカに行けばアメリカの良い部分をポジティブに受け止めます。旅行者の気分で日本は良いところですと言われても即納得する訳にも行きません悪しからず、、こないだのスピーチでもアメリカが貴方のアイデンティティーであり移民としてシチズンシップを申請すると仰っていた筈、日本は二重国籍を許す国ではなく、敢えて日本国籍を捨棄てられる方に言われても説得力は皆無です。」

同級生K

「僕は、もともと、国籍とか、パスポート、ビザとか、更には国境も一九世紀の遺物であると考えてきました。しかし、現実には上記のモノがまだ必要な訳で、米国セキを取ろうとする動機に、グリーンカードは一年以上の不在で取り上げられるし、そして以前にも述べた通り、心情的にアメリカ移民第一世としての自負があります。」

「日本は、建前として二重国籍を認めない事になってはいますが、現実には、二重国籍を完全に排除する事も不可能に近く、二重国籍は「とがめなし」というのが現状のようです。僕も、米国籍を獲得しても、自分から進んで日本んのパスポートを領事館に返納したり、届出をしたりするつもりはないので、二重国籍の状態にもっていこうと考えています。役所も膨大な手続きを踏まねば一人の国籍を剥奪できないし、現実的ではないのです。」

「「日本良いとこ」の感想は、旅行中の米国人としてではなく、浦島太郎としての見解です。ひとそれぞれだと思います。(KS君とは、この前の銀座の会合でそこまで話しませんでしたが、彼は多分、旅行中の米国人として日本を楽しんだと思います。)要するに、僕は日本国籍を捨てるつもりまありません。だから、説得力に関しては、それを留保します。」

「国籍、云々などと堅苦しい事なく、「日本はいい国だ」というのが僕のストレートな感想です」。

柳田

「長々と有難うございます、一九世紀の遺物、アメリカ移民一世としての自負、法に背いてまで固執する日本国籍、移民されるアメリカにも日本も良い迷惑ですね、ひとそれぞれと仰いながら、日本はいいところですと決め付け他人を否定するのは余り宜しくないのではと思います。」

同級生K

「アメリカでも日本でも、外貨を稼いで貢献しています。」

柳田

「全ては金と仰るのですね。」

同級生K

「「移民されるアメリカにも日本にも良い迷惑ですね」に対する反論としての話です。」

柳田

「それは星条旗に中世を近い、日の丸にも敬礼し君が代を歌う矛盾に対して迷惑じゃないかと申し上げたのです。」

同級生K

「僕は、他人の心情にいちいち、迷惑心を起こしません。
それが思想の自由の基本的な約束だと思います。」

柳田

「だから何故日本はいいところだと僕は思うと言わないで、日本はいいところですと最初に断言されたのかに僕は自分の意見を述べたまでと申し上げてるじゃないですか。」

同級生K

「二人の浦島太郎のコントラストは楽しいですね。」

平成八年の正月にこれからは女々しい野郎とは付き合わないと決めてから二十年近く経過した平成十二年にオーストラリア人と再婚して渡豪してから平成二十六年に帰国して又々大人になり切れていない先輩に悩まされる羽目になりすっかり「理屈じゃない」の世界に引き戻されてしまった。
そこに日本人の典型でもある女々しい男の姿を見てしまったからである。
個の確立の出来ない、定年後 10年経っても「うちの会社」という大人になり切れない日本人の人間像である。
それは数年前にオーストラリアから一時帰国した時の兄の態度と酷似していた。

念の為にツイッター経由でFBにもコメントを残した。

俺は日本に居た頃同級生から日本は住み易い国だと言う謂れのない同調圧力を受けてFBから遠ざかっていたが、今回治療も開始出来た事だし戻ったら又同じ奴から今度はアップしたハーバーブリッジが気に食わないといちゃもんを付けられた、最初は間質性肺炎の死に損ないだから黙っていたが許し難い。

その死に損ないは同級生の歓迎パーティーで自分は今後アメリカ移民1世として生きる事に決めたと涙ぐんでスピーチして皆感動したが、その後前述した同調圧力をかけてきた時、自分は日本の国籍は捨てないと言い出し、違法行為を正当化する発言をして論旨すり替えののらりくらりとした受け答えをした。

何故日本人は違法行為に罪悪感が無いのか、それは倫理規範が日本に欠如するからに他ならない、又日本人は論理的じゃないので論理に整合性を無く論旨のすり替えを平気でする、他人のポストに意見して来て他人の考えを否定し自分のだけ思想信条の自由だと抜かしやがった。

大体自分だけが幸せじゃないと思ってる奴は手に負えない、そりゃ家族がXY連鎖の染色体異常で男子だけに発症し女性はキャリアーになるがん体質で自分が間質性肺炎で死に損なったら不幸には違いないが皆似たようなものそれを乗り越えてやっとこさで生きてるんだよ。

普段ならスクリーンショットで保存するのだが、今回は油断してしまった。

「大体人が折角アップした女房がジョギング中に撮ったシドニーハーバーのプロファイルの映像を、橋がエレガントじゃ無いとケチつける奴って何処まで根性がひん曲がってるんだと思うぜ、大体橋脚に優雅さを求める奴の気が知れない。」

あまりに我慢がならないので上の様なコメントを残したら彼のコメントと俺の英語の返答を含むスレが消されてしまった。
俺の返答は、Sorry am not sure who adores that bridge for that shape built in 1932‬.って内容だと思ったが。

内容は、彼がシドニーハーバーブリッジが優雅さを欠くので何故皆があの橋を崇めるのかわからんという英文のコメントなのだが、
ハーバブリッジがサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジやオークランドの橋の様に吊り橋スタイルじゃないのがいかんという事で、最近はやっと我慢できる迄になったと言う内容である。
大体人々が橋脚に優雅さを求めるとも思えず、ハーバーブリッジをあのスタイルの為に崇めてるとも思えないし、シドニー湾のアイコンは橋だけじゃなく、オペラハウス、センターポイントを中心にシティーが一望出来る環境にある。

その後頭に来たので1980年に立ち寄った時と2000年に女房と立ち寄った時の写真をプロファイルに乗せ、ゴールデンゲートブリッジも別に優雅じゃないし、ハーバーブリッジは吊り橋スタイルにするには短過ぎるとコメントを付けたが阿呆らしいし女房の映像は晒したくないので削除した。

こち亀どち亀騒ぎに想う

リオの閉会式のプレゼンの時もそうだったが、あの猿芝居が猿真似文化の集大成だというのに大騒ぎして、あれが理解出来ない奴は遅れてるかの如く吹聴して、皆日本人の付和雷同で右へ倣えしたのと、今回のこち亀だかどち亀だか判らん物が日本文化だと吹聴するのと何処が違うんだ?

こち亀だかどち亀だか知らんが、漫画世代が一所懸命に自分らの世代を自画自賛、正当化しようとしてるしか見えない、俺から見れば漫画は日本文化の足を引っ張ったネガティブな要素が大きい、漫画読んで育って大成した人間を見た事が無い。

少なくとも俺の祖父さんの柳田國男はポンチ絵は読むな、鳴り物は午前中はやめろと孫に言っていた、吉田茂は言わなかったから孫は漢字が読めない、又柳田國男は文化即ち改良であると書いていた、漫画は果たして改良か、イコンが貧者の聖書と言われていたみたいな視聴覚教育なのか疑問しか残らない。

漫画の連載が40年続いたって言うけど、俺が27才から今までだぜ、27才で最初の結婚して34才で別れて以来ずっと冷や飯食らってのたうち回って人生こねくり回し、50才で尾羽打ち枯らしその時出会った27年下のオーストラリアの女性と再婚してやっと蘇生出来たと言うのに、その間ずっと同じ漫画読んでる国民って能天気だと思わんかい、お目出度いとしか言いようが無い。

こんな能天気な事言ったりやったりしてる割に、失われた20年とか言って日本はガラパゴス化し皆で年金生活滑り込みセーフの団塊の世代を叩き、それが一段落すれば今度は東京生まれ、中高一貫校批判、全て当て嵌まる俺はどうすれば良いのだ。

団塊の世代は漫画は大学入学辺りで卒業するが漫画世代はしなかったから遅れを取ったとは思わんかい、結局漫画世代の団塊の世代に対する僻みやっかみ嫉みは自分自身に問題があるんじゃないのか?

結局俺が結婚した頃小田急で相模原の方から乗ってくる若者が皆漫画を読んでるのを見て、昔は漫画すら読めなかった連中だから進化なんだと揶揄しながら危惧してたのが現実問題として浮き彫りになって来たんじゃないのかい、このガラパゴス状態。

出羽守の短絡にも困ったものがある

高畑淳子の息子の性癖インタビューに想う。

出羽守が日本は民度が低いと嘆いたところで、一足飛びに息子は息子、母親は母親といった個人主義になれる訳もなく、何を勘違いしたのか日本の社会は未だに未開のままなのだ。

何故出羽守は当然の様に日本の社会に新憲法の前文の様に人類の普遍的原理を当てはめようとするのだろう。
是れが筆者が所謂、日本がアメリカじゃないと文句を垂れても始まらないと言う所以である。

勿論近代文明が西欧の普遍主義で構築されいて、民(civil)度(level)詰まりcivilisation levelが低いという事になるのだが、これがイタリアルネサンスの様に意識改革の切っ掛けになれば良いのだろうが、日本人は普遍主義の普の字も理解してないではないか。

近代文明は個の確立を基本とする普遍主義で構築されているが、日本には個=1という概念すら無い、日本は個も論も無い前近代、癒着、談合、隠蔽の社会なのだ

個も論も無い日本の民度を西欧の尺度で測れば低いのは当然の事、然しながらその尺度が普遍主義由来だからこそ日本会議が頑なに拒絶してるのではないのか。

結局日本人にとって西欧から導入した社会システムは教育システムに至るまで皆建前なのであり、本音は旧態以前とした世間であり苛めである、その建前を盾に文句付けても見当違いだって事だ。

聖俗未分離、前近代、中世のままの日本の社会に西欧の尺度をそのまま当てはめて、民度が低いと嘆くのはお門違いとも言える、其れこそ嫌なら日本人をやめろと言われるのが落ちである。

安倍晋三の一挙手一投足が日本から俺の心を引き離す

リオの閉会式の猿芝居が猿真似文化の集大成とは恐れ入った。

でも安倍ちゃんの放った決定打が、俺の心を完全に日本から離してくれたのは嬉しい、まさに決定打だ、日本は理解出来ない化け物と化した。

今回のリオ五輪の閉会式での日本のパフォーマンス程反響を呼んだものもない。

政治をオリンピックに持ち込むな、
オリンピックを国威発揚の場に使うな、

何故日本の首相がイタリアの配管工のコスプレなんだ、
サブカルを日本の文化として全面に押し出すな、

等々賛否両論の中で、

君が代のアレンジは良かった
椎名林檎を起用した事は時代のエポックだ

と絶賛する意見も多い、

結局俺的にはリオ五輪のメルトスルーすら思い起こさせる荒唐無稽な安倍マリオの土管のパフォーマンスを観て、日本を離れて良かったとつくずく思った、

オーストラリア住みなので断片しか読み切れず全体像を把握するのに時間が掛かったが、

あの猿芝居を理解出来なきゃ現代人として認めないみたいな風潮、猫も杓子も遅れを取るまいと判った振りをする、結局日本人の付和雷同が出ただけ、所詮コピーのコピーよ、猿真似でポスモやってたのとどう違うのか、椎名林檎か何か知らんが踊りの合間に聞こえる稚拙な英語、恥だね。
結局うわべだけ近代やって見せても中味は相も変わらぬ世間主義人民共和国って事よ、北朝鮮のマスゲームとどう違うんだよ。

左様ならニッポン

「理屈じゃない」の世界

 明治維新以来の付け焼き刃がボロボロ欠けて行く、何故立憲主義に至ったかの根拠が希薄すぎる、新憲法でさえ前文にわざわざ人類普遍の原理と迄入れて貰っても理解すらも出来ない。

 3・11で絶対に漏れない原発が漏れた途端神のみぞ知ると日本の科学が宗教に近いと証明され、その四年後には憲法問題、人文学の衰退の問題まで起こり、これは何れも根は同じであり、和魂洋才の弊害である。

 この根幹にある問題を解決しない限り日本の文明化は望めないのだ。

 何故日本会議が立憲主義まで否定しようとするのか、それは立憲主義そのものが洋魂であり、普遍主義由来だからに他ならない。
自然の摂理とも言える普遍主義すら否定して時代逆行しようとするこれを野蛮と呼ばずなんと呼べるのだ。

 左様ならこれ以上はお付き合い致しかねる、さようならである。
 別によその国が取り立てて良いというのではない、日本がどうしようもなく酷いという事だ。

 人文学が社会の役に立たないのは学問が悪いのではなく、学問が外来であり、日本の前近代社会に合わないからに他ならない、日本では輸入の学問は建前だからだ、筆者がこれまで何回も繰り返し繰り返し言って来たように、海外の学説はデカルト以降の社会に対応していて日本のような前近代社会、つまり中世オカルトの社会には対応していないからなのだ。

 学問が社会の役に立たないのではなくて、日本の社会が人間の役に立たないのではないのか。

 普通は社会がいけなければ社会を変えようとするが、日本の場合は人間が社会に合わせる事を強いられるのだ。

 以前も書いたが日本は戦後全体主義の社会にアメリカのプラグマティズムを取り入れて人間がロボット化し、凄まじい経済発展を遂げた、しかし戦後七十年国民にこれ以上の犠牲を強いるのは無理だと言う事だ、柳の下にドジョウはいない。

 日本の伝統を守るのも大切だが、近代文明の淵源を教育に盛り込むのは必須である。
日本人が学ばなくてはいけないのは謂わば「近代文明学総論」とでも言うべきものである。

 日本人は本屋が好きだ、ありとあらゆる本が並んでいるのだが、結局そこ迄は判っている、その先が知りたいというハウツーものの域を脱しないものが多い。
前回の「個人学」の勧めもこれも、その所謂「その先」の部分を書きたいと言う筆者の願望の表れでもある。

 日本人はどうしてか教科書に出ている事しか信じない傾向がある、筆者の様に教科書に出ていない事を追求している人間とは自ずと接点すら無い。
日本の心は輸入の学問では解けないと言いつつ、輸入の手法でしか解けないジレンマ、その割には近代文明を構築する普遍主義の普の字も理解していない日本人。

 次の図は以前仮説として描いた洋魂の仕組みの改訂版であるが、日本人はどうみても俗の部分だけを利用しているに過ぎない事は明らかである。

yokon


詰まり科学の目的である、全能性追及姿勢も手段である普遍性追及姿勢も日本人には欠如しているのだ。

 図をじっくり見て頂きたい、日本人には円の中の要素が全て欠如しているだろう。
それは何と言っても円の中心に位置する論理性の欠如から来ている。
従って哲学も生じる余地は無い。
 

 哲学は論理学、美学、倫理学、宗教学全ての総称であり、哲学が欠けると言う事は他の全ての学問にも影響があるという事でもある、日本には寄せ集めの道徳規範以外倫理規範が欠如しているのだ。
これで上手くいく訳が無いのは一目瞭然にも関わらず
 日本は国家を挙げてそれを隠蔽しようとしている。

 所詮筆者の試みも日本の社会を西欧の尺度で断罪したに過ぎ無いかも知れないが、すくなくともその事すら学校では教えて貰えない。
それにも関わらず日本人が和魂で全てが賄えると信じているのが不思議だ。

 結局本来総論(聖)であるべき哲学迄も各論(俗)に横並びにしてしまったとも言える。
何故なら外来の学問は日本人の主観とはなり得ず、あくまでも客観だからだ。
これが筆者が、客観の客観視なら誰にでも出来ると言う所以でもある。

 日本を考える場合、日本人の言う、価値相対主義=ご都合主義、反知性主義=情緒至上主義であるという二点を念頭に入れておく必要がある。
彼らは自己正当化の為ならどんな言い訳も厭わない、国を挙げて瑕疵を隠蔽しようとする。
一度蓋を開ければそこには嘘の蔓延する中世暗黒の社会所謂日本人の大好きな「理屈じゃ無い」の世界が拡がっているのである。

 今こそ聖徳太子以来のご都合主義に終止符を打つべきなのである。
そこに真実は無い、美意識先行型の日本人は真善美を海外から輸入した際に勝手に美善真と並べ替えてしまったのである。
日本では真実は最後に来ると考えると妙に納得出来るだろう。
かくして日本人=ネットウヨ=内弁慶=負け惜しみ=言い訳の人生=甘えの構造=天皇の赤子に成り下がったのである。

 たまにこれ以上書くのは無意味だとすら思えて来るが、筆者が書きたいのはこれだけ和魂洋才の弊害が明らかな時に日常生活に支障を来さないわけが無いだろうって事なのだ。
要するに家族をも含む小さな世間から国会という大きな世間まで皆おなじと言う事なのだ。
今回左様ならニッポンに至ったのも、後述するがこの確立されていない前近代社会の日本では家族という世間が崩壊したらお終いと言う事であり、かと言って近代文明の均質化(普遍化)に敵うわけもなく、政府がやっきになって家族の絆を強調するのもそこに原因が隠されているのだ。
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