西洋人の神とは

(´・ω・`)「道徳的で理性的なイデオロギーへの欲求は西欧文化の一部となっている。かたや日本は理性や普遍的な道徳律よりも人間の感情や人間関係のヒエラルキーをはるかに重視している。」

昨日金ビス先生の引用ツイについ

「それを聖俗未分離の前近代社会詰まり未開の土人と呼ぶって書いてないですか?」

と反応してしまったら、

(´・ω・`)「日本には社会の外に、あるいは上にいて私たたち全てを見守っている唯一神は存在しない。その代わりに、特定の社会的情況にふさわしい行動規則や礼儀作法の複雑なシステムが機能しているのである。」

と続いた。

それに今度は、

「未開だから普遍主義の基本の自他の哲学さえ括り出せないから絶対主が居ないだけで、西欧にだって外側には神なんかは居ないでしょ、神は人間の内側に居るんだから。」

とコメツイしたら、

オランダ生まれのこの御仁に言うてくだされ⇒Ian Buruma「日本のサブカルチャー―大衆文化のヒーロー像 」

と言われてしまった。
ウォルフレンの二番煎じかと思いきや、

「もう古参かと。ジャパンスタディ界隈じゃ定番のおひとり。ライデン大学出てテラヤマの欧州公演きっかけにポンニチサブカルに興味持って、という経歴。写真撮ったり映画批評やったりあれこれやっとらすんですが、もともとジャーナリスト系ですね。」

らしい。

その後の俺のツイ、

"日本の神に関する外国人の記述を見る度に思うが彼らも如何にして神が創造されたか迄は理解してないみたいで歯痒い、何とか日本人自らの手で普遍主義を括り出して欲しいものだ。"

"未だに外人の書いた事が恰も事実かの如く流布するって日本人は恥ずかしくないのかね、結局客観の客観視なんて猿でも出来る事を鵜呑みにしてるって事だぜ。"

"でも西洋人なんて呑気でいいよな、自分らの神が外に居るなんて平然と言えるんだから。"

"日本人は自分らが未開の土人だと言うことを必死で否定するが、本音と建前を離れたままに看過してる限り文明化は望めないと気が付かない、本音は言わば主観建前は客観であり、主観を相対化して限りなく客観に近付けると言うのが自他の哲学普遍主義の基本中の基本だから。"

"でも何で日本人は一足飛びに天の神様にすがりたがるのか不思議だよね、何故自分で神様を見つけようとしないんだ、それも皆カルトばかりだぜ、そんな自分らが恥ずかしくないのか、恥さらしの文化か?"

"この倫理規範の欠如する日本で皆何を期待してるのか俺にはさっぱり理解出来ないんだよな、毎日ここに出て来てああでもないこうでもないって建前論並べ立ててりゃこの癒着談合隠蔽の「理屈じゃない」社会から脱却出来るとでも思ってるのかね出来る訳ないだろうが、胸に手を当てて内なる神に聴いてみな。"

結論として言える事は西洋人も大部分は他人の創り出した神にすがっている事だよ、だから日本人も普遍主義を拒絶するだけじゃなく、自らの手で普遍主義を括り出さない限りいつ迄経っても前近代社会、未開の中世ガラパゴスジャップランドの土人のままなんだよ。

アドラーを読む前にこれだけは知っておこう


最近アドラー心理学が流行ってるみたいなので調べてみたら俺が普段女房の相談に乗っっ てる時に話す事そのものだった、それはこれが自他の哲学そのものであり、相対化し尽くした後に括り出された結論だからでもある。
アドラーの心理学そのものには興味ないが、アドラーがあそこまで相対化し尽くした事には興味がある。
アドラーの心理学が日本人の心に優しく響くのは多くの日本人が世間の掟(同調圧力)に嫌気がさしているからと思われるが、嫌われる勇気を女房が納得するのは西洋人だからだ、俺みたいに村八分になる勇気を出したら日本には居られない事も証明された。
『嫌われる勇気』を著した岸見先生辺りが『村八分に遭う勇気』でも出したら読んでみたいとは思うが、日本人の学者が今ひとつ踏み込まないのはこの70年変わらないから無理だろう、世間主義人民共和国で個の確立が無理だからに相違ない。

アドラーの心理学はアドラーが相対化し尽くして括り出した心理学であり、個人心理学、Insividual psychology と呼ばれている。
これを個の確立していない人間が徒らに取り入れるのは実に危険である。
何故ならこれは西欧社会だけで通用するセオリーだからである。
これはどの輸入の学問にも言える事なのだが、これ以上に直接個=individualを扱った学問はないので個の確立を学ぶには最適であるとも言えるが。

アドラーの心理学は個人心理学でありそれも不可分という意味でのIndividual Psychologyである事を知って正直繋がったと思った。
内容も普段自分が考えている事ばかりであり、これこそが探し求めていた自他の哲学の教科書だと思った。
日頃から近代文明の日本語取扱説明書が付いて来なかったのが日本の敗因だと言っていただけにこの発見は大きかった。
アドラー心理学は個の確立した人間が近代文明を如何に生きるかを示した教科書ではあるが、個の確立の方法を説いたものではない。

これは俺が日本人の為に括り出した「個人学」に一番近いものである。
何故なら限りなく自分を相対化したものが個=1(individual)だからである。
従って輸入の学問が如何に日本の社会に役に立たないか如何に危険かを学ぶのに適している。
逆から言えば個を確立する事が近代文明を生きるには必須であり、相対化が如何に重要かを学ぶ教科書足り得る。

アドラー心理学が個の確立を助けるとは言いながら、日本の様に個の確立した人間の受け皿が無い社会では危険と言わざるを得ない。

日本死ねに想う

日本人もそろそろ自由そのものを学ぶ必要がある。

そもそも西欧では自由というものは社会との契約ではない神との約束事であり、それを規制するのが法律というものである。
社会の上位概念が無いから日本人は私権の行使と個人の自由を同次元で捉える。
私権の行使詰まり法律で守られている権利の行使にも自己責任を問うのは矛盾である。

日本死ねと言うのも自由だが、社会的制裁を受けるのを覚悟で言え、それを流行語大賞に選べばユーキャンのウィキペディアが荒らされるのを覚悟でやれと言う事だ、公序良俗即ち公の秩序、善良なる風俗に反する事は法律で禁止されている。

日本には社会の上位概念が無い、詰まり法律の上位概念が無い、憲法問題も全てここに原因がある、突然立憲主義からスタートする事に無理があるのだ。
小林節にジュリスプルーデンスについて語って呉れと2度ほどツイしたが残念ながら無視されたが、立憲主義を認める事は半ば普遍主義を受け入れたも同じ事であり、普遍主義を否定する日本会議が認める筈もない。
何度も言うが、総論に瑕疵がある時に幾ら各論を弄り回しても問題は解決しない。
それは、憲法に問題がある時に法律の拡張解釈で憲法違反を回避する政府を見れば判るだろう、問題はその上の上位概念にあるのだから。

トランプ当選に想う

あのレイシストセクシストのトランプが米国の大統領になった事で、日本のネットウヨはまるで自分等のナショナリズムが正当化されたようにはしゃいでいるが、自由主義のアメリカでポリコレを恐れず本音を吐露して大統領になってもアメリカが自由主義の国である事に変わりはない。

”俺は常日頃から哲学的には普遍主義、政治的には大和民族党と言って憚らないが、そこには矛盾を孕んでいる事も認識している、自由平等博愛なんて無理だからこそ理想なんでもって、国境を超え年齢を超え性別を超えるなんてのも、俺の壮大な実験に過ぎない、柳田國男の流儀である史心、内省、実験の踏襲。”

"俺は哲学的な主張と政治的な主張の齟齬はある程度は致し方ないと思う、良いじゃないか国情に合わないものは規制しても、哲学さえしっかりしてれば、日本はその哲学が欠如してるから何やってもダサいんだよ。"

日本人が勘違いしてるのは米国では共和党も民主党もリベラルだと言う事だ、IN GOD WE TRUST には変わりはない。

日本の場合は哲学が欠如するので国是に自由平等博愛を導き出す事が出来ず、未だに癒着談合隠蔽のままであり、日本の封建的差別主義は米国とは根本的に違う事を認識すべきである。

68になるので今迄の流れを纏めてみた

そろそろ終活の一環としてQOLの追求に励みたいので栁田芳秋が生きた証を一覧出来るようにHPを改訂したいのだが何せ20年以上掛かっているのでまるで日本の様な増改築を繰り返した折衷様式で読み難い、俺も此処までは努力したんだという栁田芳秋の全て、All of me的な何かを遺したい気持ちである。
余生は血液がんサバイバル及び国籍離脱への道のりの二点に興味を絞り細々と暮らしたい。

これは栁田芳秋自伝ならぬ辞典でもある。

日本の特異体質の研究
和魂洋才の弊害
イタリアルネサンス

柳田國男の研究
普遍主義研究

自伝の執筆を通して人格統合を図る。

イタリア・ルネサンスに端を発する近代文明研究並びに、柳田國男の方法論の研究を通して、日本の特異体質を考察した結果、帰結した理論に基づく、「個人学」及び「自分学」の提唱を機に、ネット上に国際個人学研究所を開設し、20余年に亘り個の確立の重要性を説いて来た。

自らを考える事と信じる事だけの与件の下に置く事で、自他の世界を徹底的に分析、哲学及び科学の相関関係の解析を行い、個の確立が文明化に必須である事を括り出した。

日本の特異体質であるオールオアナンの二分法が個対無のナチュラリズムでもなく個対全のヒューマニズムでもない、個の欠如により全と無の間を右往左往する結果である事に気付き個の確立こそがオールオアナンから脱却する唯一の手段である事を指摘した。

瞑想を通じてニコラスクザーヌスの所謂個が全を包含する事を20年掛けて体感、一にして全なる個を体現する。

神が居ないから個の確立が出来ないのではなく、個の確立が出来ないから神が居ない事を指摘。

全は個の外側から到達する事は出来ず、個の内側を通してのみ到達する事が出来る事を指摘。

国際結婚を通して、国籍を超え、年齢を超え、性別を超える実践をする。

国際化と言うと兎角英語を学べと言いがちだが、年齢及び性別を超えるのに英語が不要な事を指摘。

近代文明ひいては科学は12世紀から16世紀に掛けて文芸復興運動、イタリアンルネサンスを機に発展した、重要な鍵は、聖俗分離、世俗化である、日本は世俗化の機会を逃し聖俗未分離のまま残ってしまい、自由よりも寧ろ秩序を好み、それは聖俗一致を唱え近代文明ひいては近代文明を構築する普遍主義を拒絶したイスラム社会に似ている。

聖と俗詰まり心と身体を一時的に話す事により科学ひいては近代文明は西欧で発展し、逆に日本人は近代文明により無理矢理に心と身体を引き裂かれ一億総統合失調症状態に陥った事を指摘した。

日本が近代文明を導入した際、日本語取扱説明書がついて来なかった為に、21世紀の今でも日本人が普遍主義の普の字も理解していない事に着目し、個人学講義をネット上で展開した。

洋魂を図解し日本人が近代文明の各論部分だけを利用し総論部分を理解していない事を指摘し近代文明学総論を展開した。







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