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リベラル再考

今迄和魂洋才の捻れにばかり焦点を当てていたが、現在の日本は敗戦により実質上は和魂洋才から洋魂洋才の状態になっていたとも言える。

それもその筈、戦後は柳田國男の監修した社会科の教科書は検定落ちしGHQ主導のソシアルスタディーズになったのだから。
以前も書いたが戦前のらくろ上等兵を読んでいた軍国少年は戦後は鉄腕アトムを読みこぞって科学少年になったのだ。

前回も書いたが、

「今迄は西欧化をよしとしていたので普遍主義礼賛の風潮があった、憲法前文にも人類普遍の原理と謳われていたからなのだがここに来てそれがガタガタと崩れ始めたのだ。
遂に日本人の本音が本性を現した感じである。」

近代文明が普遍主義で構築されていて、それに基づいて憲法も普遍主義で構築されている、日本人の今やろうとしている事はそれを根こそぎ否定する事である。

本来哲学的に普遍主義、詰まりリベラルを前提に保守と革新に分かれるべきところ日本人は何故か革新をリベラルと呼び哲学的なリベラルと混同しているだけでなく、一部マイノリティーが普遍主義を逆手に取って責めてる事も事実ではあるが、リベサヨとして排斥しているのだ。

後は前回も書いたとおりである、

「リベサヨが建前論で攻めればネットウヨは本音で応戦する、これは建前と本音の戦いなのである。」
「然し残念ながら日本にリベラルの生まれる土壌はなくあくまでも建前論なのである、又ネットウヨが頑なに拘る日本は時代逆行であり近代文明を拒絶するものでお互い相容れない。」

「日本人が建前と本音を使い分ける限り日本人に文明化は望めず、和魂洋才の捻れは続くのだ。」
「一つ言える事は日本人は個も論も欠如するので普遍主義、その基本である自他の哲学ひいてはリベラルを導き出せないのだ、従って哲学的にリベラルを前提に保守と革新が機能する土壌も生まれないという事だ。」
「そもそも日本には哲学が欠如しているので、経済的な観点でしかものを見る事が出来ないので、哲学的にリベラルで政治的にもリベラルであるなんてのは日本には存在し得ない、詰まりリベウヨの概念が欠如しているのだ。」

これが俺が国籍離脱した原因でもあり、哲学的政治的にリベラルである為には自由圏諸国に帰化するしかない所以である。

努力虚しく日本は時代逆行してしまったのだ。

西洋人の神とは

(´・ω・`)「道徳的で理性的なイデオロギーへの欲求は西欧文化の一部となっている。かたや日本は理性や普遍的な道徳律よりも人間の感情や人間関係のヒエラルキーをはるかに重視している。」

昨日金ビス先生の引用ツイについ

「それを聖俗未分離の前近代社会詰まり未開の土人と呼ぶって書いてないですか?」

と反応してしまったら、

(´・ω・`)「日本には社会の外に、あるいは上にいて私たたち全てを見守っている唯一神は存在しない。その代わりに、特定の社会的情況にふさわしい行動規則や礼儀作法の複雑なシステムが機能しているのである。」

と続いた。

それに今度は、

「未開だから普遍主義の基本の自他の哲学さえ括り出せないから絶対主が居ないだけで、西欧にだって外側には神なんかは居ないでしょ、神は人間の内側に居るんだから。」

とコメツイしたら、

オランダ生まれのこの御仁に言うてくだされ⇒Ian Buruma「日本のサブカルチャー―大衆文化のヒーロー像 」

と言われてしまった。
ウォルフレンの二番煎じかと思いきや、

「もう古参かと。ジャパンスタディ界隈じゃ定番のおひとり。ライデン大学出てテラヤマの欧州公演きっかけにポンニチサブカルに興味持って、という経歴。写真撮ったり映画批評やったりあれこれやっとらすんですが、もともとジャーナリスト系ですね。」

らしい。

その後の俺のツイ、

"日本の神に関する外国人の記述を見る度に思うが彼らも如何にして神が創造されたか迄は理解してないみたいで歯痒い、何とか日本人自らの手で普遍主義を括り出して欲しいものだ。"

"未だに外人の書いた事が恰も事実かの如く流布するって日本人は恥ずかしくないのかね、結局客観の客観視なんて猿でも出来る事を鵜呑みにしてるって事だぜ。"

"でも西洋人なんて呑気でいいよな、自分らの神が外に居るなんて平然と言えるんだから。"

"日本人は自分らが未開の土人だと言うことを必死で否定するが、本音と建前を離れたままに看過してる限り文明化は望めないと気が付かない、本音は言わば主観建前は客観であり、主観を相対化して限りなく客観に近付けると言うのが自他の哲学普遍主義の基本中の基本だから。"

"でも何で日本人は一足飛びに天の神様にすがりたがるのか不思議だよね、何故自分で神様を見つけようとしないんだ、それも皆カルトばかりだぜ、そんな自分らが恥ずかしくないのか、恥さらしの文化か?"

"この倫理規範の欠如する日本で皆何を期待してるのか俺にはさっぱり理解出来ないんだよな、毎日ここに出て来てああでもないこうでもないって建前論並べ立ててりゃこの癒着談合隠蔽の「理屈じゃない」社会から脱却出来るとでも思ってるのかね出来る訳ないだろうが、胸に手を当てて内なる神に聴いてみな。"

結論として言える事は西洋人も大部分は他人の創り出した神にすがっている事だよ、だから日本人も普遍主義を拒絶するだけじゃなく、自らの手で普遍主義を括り出さない限りいつ迄経っても前近代社会、未開の中世ガラパゴスジャップランドの土人のままなんだよ。

アドラーを読む前にこれだけは知っておこう


最近アドラー心理学が流行ってるみたいなので調べてみたら俺が普段女房の相談に乗っっ てる時に話す事そのものだった、それはこれが自他の哲学そのものであり、相対化し尽くした後に括り出された結論だからでもある。
アドラーの心理学そのものには興味ないが、アドラーがあそこまで相対化し尽くした事には興味がある。
アドラーの心理学が日本人の心に優しく響くのは多くの日本人が世間の掟(同調圧力)に嫌気がさしているからと思われるが、嫌われる勇気を女房が納得するのは西洋人だからだ、俺みたいに村八分になる勇気を出したら日本には居られない事も証明された。
『嫌われる勇気』を著した岸見先生辺りが『村八分に遭う勇気』でも出したら読んでみたいとは思うが、日本人の学者が今ひとつ踏み込まないのはこの70年変わらないから無理だろう、世間主義人民共和国で個の確立が無理だからに相違ない。

アドラーの心理学はアドラーが相対化し尽くして括り出した心理学であり、個人心理学、Insividual psychology と呼ばれている。
これを個の確立していない人間が徒らに取り入れるのは実に危険である。
何故ならこれは西欧社会だけで通用するセオリーだからである。
これはどの輸入の学問にも言える事なのだが、これ以上に直接個=individualを扱った学問はないので個の確立を学ぶには最適であるとも言えるが。

アドラーの心理学は個人心理学でありそれも不可分という意味でのIndividual Psychologyである事を知って正直繋がったと思った。
内容も普段自分が考えている事ばかりであり、これこそが探し求めていた自他の哲学の教科書だと思った。
日頃から近代文明の日本語取扱説明書が付いて来なかったのが日本の敗因だと言っていただけにこの発見は大きかった。
アドラー心理学は個の確立した人間が近代文明を如何に生きるかを示した教科書ではあるが、個の確立の方法を説いたものではない。

これは俺が日本人の為に括り出した「個人学」に一番近いものである。
何故なら限りなく自分を相対化したものが個=1(individual)だからである。
従って輸入の学問が如何に日本の社会に役に立たないか如何に危険かを学ぶのに適している。
逆から言えば個を確立する事が近代文明を生きるには必須であり、相対化が如何に重要かを学ぶ教科書足り得る。

アドラー心理学が個の確立を助けるとは言いながら、日本の様に個の確立した人間の受け皿が無い社会では危険と言わざるを得ない。

日本死ねに想う

日本人もそろそろ自由そのものを学ぶ必要がある。

そもそも西欧では自由というものは社会との契約ではない神との約束事であり、それを規制するのが法律というものである。
社会の上位概念が無いから日本人は私権の行使と個人の自由を同次元で捉える。
私権の行使詰まり法律で守られている権利の行使にも自己責任を問うのは矛盾である。

日本死ねと言うのも自由だが、社会的制裁を受けるのを覚悟で言え、それを流行語大賞に選べばユーキャンのウィキペディアが荒らされるのを覚悟でやれと言う事だ、公序良俗即ち公の秩序、善良なる風俗に反する事は法律で禁止されている。

日本には社会の上位概念が無い、詰まり法律の上位概念が無い、憲法問題も全てここに原因がある、突然立憲主義からスタートする事に無理があるのだ。
小林節にジュリスプルーデンスについて語って呉れと2度ほどツイしたが残念ながら無視されたが、立憲主義を認める事は半ば普遍主義を受け入れたも同じ事であり、普遍主義を否定する日本会議が認める筈もない。
何度も言うが、総論に瑕疵がある時に幾ら各論を弄り回しても問題は解決しない。
それは、憲法に問題がある時に法律の拡張解釈で憲法違反を回避する政府を見れば判るだろう、問題はその上の上位概念にあるのだから。

トランプ当選に想う

あのレイシストセクシストのトランプが米国の大統領になった事で、日本のネットウヨはまるで自分等のナショナリズムが正当化されたようにはしゃいでいるが、自由主義のアメリカでポリコレを恐れず本音を吐露して大統領になってもアメリカが自由主義の国である事に変わりはない。

”俺は常日頃から哲学的には普遍主義、政治的には大和民族党と言って憚らないが、そこには矛盾を孕んでいる事も認識している、自由平等博愛なんて無理だからこそ理想なんでもって、国境を超え年齢を超え性別を超えるなんてのも、俺の壮大な実験に過ぎない、柳田國男の流儀である史心、内省、実験の踏襲。”

"俺は哲学的な主張と政治的な主張の齟齬はある程度は致し方ないと思う、良いじゃないか国情に合わないものは規制しても、哲学さえしっかりしてれば、日本はその哲学が欠如してるから何やってもダサいんだよ。"

日本人が勘違いしてるのは米国では共和党も民主党もリベラルだと言う事だ、IN GOD WE TRUST には変わりはない。

日本の場合は哲学が欠如するので国是に自由平等博愛を導き出す事が出来ず、未だに癒着談合隠蔽のままであり、日本の封建的差別主義は米国とは根本的に違う事を認識すべきである。
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