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出羽守の短絡にも困ったものがある

高畑淳子の息子の性癖インタビューに想う。

出羽守が日本は民度が低いと嘆いたところで、一足飛びに息子は息子、母親は母親といった個人主義になれる訳もなく、何を勘違いしたのか日本の社会は未だに未開のままなのだ。

何故出羽守は当然の様に日本の社会に新憲法の前文の様に人類の普遍的原理を当てはめようとするのだろう。
是れが筆者が所謂、日本がアメリカじゃないと文句を垂れても始まらないと言う所以である。

勿論近代文明が西欧の普遍主義で構築されいて、民(civil)度(level)詰まりcivilisation levelが低いという事になるのだが、これがイタリアルネサンスの様に意識改革の切っ掛けになれば良いのだろうが、日本人は普遍主義の普の字も理解してないではないか。

近代文明は個の確立を基本とする普遍主義で構築されているが、日本には個=1という概念すら無い、日本は個も論も無い前近代、癒着、談合、隠蔽の社会なのだ

個も論も無い日本の民度を西欧の尺度で測れば低いのは当然の事、然しながらその尺度が普遍主義由来だからこそ日本会議が頑なに拒絶してるのではないのか。

結局日本人にとって西欧から導入した社会システムは教育システムに至るまで皆建前なのであり、本音は旧態以前とした世間であり苛めである、その建前を盾に文句付けても見当違いだって事だ。

聖俗未分離、前近代、中世のままの日本の社会に西欧の尺度をそのまま当てはめて、民度が低いと嘆くのはお門違いとも言える、其れこそ嫌なら日本人をやめろと言われるのが落ちである。
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