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左様ならニッポン

「理屈じゃない」の世界

 明治維新以来の付け焼き刃がボロボロ欠けて行く、何故立憲主義に至ったかの根拠が希薄すぎる、新憲法でさえ前文にわざわざ人類普遍の原理と迄入れて貰っても理解すらも出来ない。

 3・11で絶対に漏れない原発が漏れた途端神のみぞ知ると日本の科学が宗教に近いと証明され、その四年後には憲法問題、人文学の衰退の問題まで起こり、これは何れも根は同じであり、和魂洋才の弊害である。

 この根幹にある問題を解決しない限り日本の文明化は望めないのだ。

 何故日本会議が立憲主義まで否定しようとするのか、それは立憲主義そのものが洋魂であり、普遍主義由来だからに他ならない。
自然の摂理とも言える普遍主義すら否定して時代逆行しようとするこれを野蛮と呼ばずなんと呼べるのだ。

 左様ならこれ以上はお付き合い致しかねる、さようならである。
 別によその国が取り立てて良いというのではない、日本がどうしようもなく酷いという事だ。

 人文学が社会の役に立たないのは学問が悪いのではなく、学問が外来であり、日本の前近代社会に合わないからに他ならない、日本では輸入の学問は建前だからだ、筆者がこれまで何回も繰り返し繰り返し言って来たように、海外の学説はデカルト以降の社会に対応していて日本のような前近代社会、つまり中世オカルトの社会には対応していないからなのだ。

 学問が社会の役に立たないのではなくて、日本の社会が人間の役に立たないのではないのか。

 普通は社会がいけなければ社会を変えようとするが、日本の場合は人間が社会に合わせる事を強いられるのだ。

 以前も書いたが日本は戦後全体主義の社会にアメリカのプラグマティズムを取り入れて人間がロボット化し、凄まじい経済発展を遂げた、しかし戦後七十年国民にこれ以上の犠牲を強いるのは無理だと言う事だ、柳の下にドジョウはいない。

 日本の伝統を守るのも大切だが、近代文明の淵源を教育に盛り込むのは必須である。
日本人が学ばなくてはいけないのは謂わば「近代文明学総論」とでも言うべきものである。

 日本人は本屋が好きだ、ありとあらゆる本が並んでいるのだが、結局そこ迄は判っている、その先が知りたいというハウツーものの域を脱しないものが多い。
前回の「個人学」の勧めもこれも、その所謂「その先」の部分を書きたいと言う筆者の願望の表れでもある。

 日本人はどうしてか教科書に出ている事しか信じない傾向がある、筆者の様に教科書に出ていない事を追求している人間とは自ずと接点すら無い。
日本の心は輸入の学問では解けないと言いつつ、輸入の手法でしか解けないジレンマ、その割には近代文明を構築する普遍主義の普の字も理解していない日本人。

 次の図は以前仮説として描いた洋魂の仕組みの改訂版であるが、日本人はどうみても俗の部分だけを利用しているに過ぎない事は明らかである。

yokon


詰まり科学の目的である、全能性追及姿勢も手段である普遍性追及姿勢も日本人には欠如しているのだ。

 図をじっくり見て頂きたい、日本人には円の中の要素が全て欠如しているだろう。
それは何と言っても円の中心に位置する論理性の欠如から来ている。
従って哲学も生じる余地は無い。
 

 哲学は論理学、美学、倫理学、宗教学全ての総称であり、哲学が欠けると言う事は他の全ての学問にも影響があるという事でもある、日本には寄せ集めの道徳規範以外倫理規範が欠如しているのだ。
これで上手くいく訳が無いのは一目瞭然にも関わらず
 日本は国家を挙げてそれを隠蔽しようとしている。

 所詮筆者の試みも日本の社会を西欧の尺度で断罪したに過ぎ無いかも知れないが、すくなくともその事すら学校では教えて貰えない。
それにも関わらず日本人が和魂で全てが賄えると信じているのが不思議だ。

 結局本来総論(聖)であるべき哲学迄も各論(俗)に横並びにしてしまったとも言える。
何故なら外来の学問は日本人の主観とはなり得ず、あくまでも客観だからだ。
これが筆者が、客観の客観視なら誰にでも出来ると言う所以でもある。

 日本を考える場合、日本人の言う、価値相対主義=ご都合主義、反知性主義=情緒至上主義であるという二点を念頭に入れておく必要がある。
彼らは自己正当化の為ならどんな言い訳も厭わない、国を挙げて瑕疵を隠蔽しようとする。
一度蓋を開ければそこには嘘の蔓延する中世暗黒の社会所謂日本人の大好きな「理屈じゃ無い」の世界が拡がっているのである。

 今こそ聖徳太子以来のご都合主義に終止符を打つべきなのである。
そこに真実は無い、美意識先行型の日本人は真善美を海外から輸入した際に勝手に美善真と並べ替えてしまったのである。
日本では真実は最後に来ると考えると妙に納得出来るだろう。
かくして日本人=ネットウヨ=内弁慶=負け惜しみ=言い訳の人生=甘えの構造=天皇の赤子に成り下がったのである。

 たまにこれ以上書くのは無意味だとすら思えて来るが、筆者が書きたいのはこれだけ和魂洋才の弊害が明らかな時に日常生活に支障を来さないわけが無いだろうって事なのだ。
要するに家族をも含む小さな世間から国会という大きな世間まで皆おなじと言う事なのだ。
今回左様ならニッポンに至ったのも、後述するがこの確立されていない前近代社会の日本では家族という世間が崩壊したらお終いと言う事であり、かと言って近代文明の均質化(普遍化)に敵うわけもなく、政府がやっきになって家族の絆を強調するのもそこに原因が隠されているのだ。
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