メイル・ショービニスト

 今回私のビジネスパートナーでもある、オーストラリアで韓国人の女性と結婚している友人との葛藤を通して、国際結婚について再度考えさせられ、ひいてはオーストラリアの文化の多様性の名の下に、日本人の特性が浮き彫りになり、それが戦後50年以上経っても若者の心に根強くある事を発見し、額然とさせられ、これは単なる個体差として処理して良いものかどうか考えさせられた。

 最初にお断りしておくが、これは何も個人攻撃をしようとしている訳でも何でも無く、件の彼氏だって実に好青年でしっかりしているし、東洋人の奥様をお持ちで立派な考え方をされている人だって世の中には沢山居られる事とおもうが、これだけ国際化が言われ、男女同権が極普通になって来ている時にささやかなる抵抗を試みるのも又良いのだろうが、近隣諸国との関係が微妙に揺れ動く昨今、今一度考え直してみても損は無いと思う。
彼としては韓国人と結婚する事により、亭主関白を維持し極普通の事として、「柳田さん、家の女房なんて僕が料理していると、そんな事させて申し訳ないと言いますよ」と言うのだが、私から言わせればオーストラリアに来て迄、亭主関白をやっている日本人のメイル・ショービニスとなんて頂けないと思うし、少なくとも韓国の女性だって日本人の女性の様に追々は平等の立場を要求して立ち上がるに違いないと思っているのだ。 歳は関係無いとは言い乍ら、私は自分よりも20才も年下の男が未だに日本男児の心意気かも知れないけれど、私から見ると時代逆行的な考え方を持つのかしばし理解に困ってしまった。これは私には、日本が台湾、韓国を統治していた時代と同じ様に、余りにもアナクロニスティックに思えるのである。 まあこれは特殊な例としても、彼が、すいも甘いも弁えた積もりになっている50過ぎのおじさんに対して、若い女房の臀に敷かれているか何かと勘違いして、もう少し女房に厳しくする様に忠告して呉れたのには驚かされてしまった。 日本人を含む東洋人或いは亜細亜人と結婚している日本人の男性から見ると、西洋人の女性と結婚している男は、一生懸命家事を手伝ったりしてまるで奥さんの臀に敷かれている様に見えるのかも知れないが、これは、女性におもねっている訳でも何でも無く、女房の生まれ育った国で、その国の習慣に従っているだけで、日本に住んで、女房が日本の習慣に従うよりは数倍易しいと思うからである。これだって、オーストラリアはマルチカルチュラルな国で、西欧風な習慣がオーストラリアの習慣とは必ずしも言えなくなっているのなら、致し方無いが。
 
 最近日本人の女性が変に強くなってしまい、日本人の若い男性が日本人女性と結婚するのを躊躇し、未だ性差別、或いは女性の貞操観念が根強く残る韓国とか中国とか、キリスト教が普及しているフィリッピンの女性と結婚するケースが増えているのではないかと思う事がある。例えばアメリカの若い男やオージーの若い男が日本に来て日本の女性ばかりと付き合うのを見ると、日本人の男は必ずと言って良い程、「あいつ等は自分の国でもてないから、おとなしい日本の女の子とばかり付き合うんだ。」とか、日本人の女性が外国人の男ばかりと付き合っていると、「あいつ等は日本人にもてないから、外人の男ばかり漁るんだ」といかにも馬鹿にしたり、軽蔑すら感じさせる言い方で非難するのである。それでは、逆は無いのかと考える事は滅多にしないのである。
今回のケースだって普段彼等が馬鹿にしている人達から見れば、「何だお前だって日本人の女性が強くなり過ぎたので、日本に憧れる近隣諸国の女性を選んだじゃないか」とも言えるのである。それは言い過ぎとしても、これでは真面目に結婚している人、或いは真面目に考えている人に対して失礼である。結局曾て日本人の若者がアメリカ文化に憧れていたのと同じ様な現象が近隣諸国に起っている事も事実なのであり、それを逆手に取って、国威の発揚ならぬ、男らしさの象徴の様に万が一にも感じているなら、時代錯誤も甚だしく、靖国神社問題、教科書問題と結果的には何等変わりは無いと思うのだ。

 私はこれを日本人男性の潜在的失地回復願望と呼んでいて、この男の負け惜しみ程醜いものは無いと思っているのだが、一向に無くなる気配を見せない。幾らロジカルに話していても結局は、情緒的になって、愛国主義的、ファッショ的と言うか、ごう慢な発言、所謂、「日出ずる所の天子?」的な発言になってしまうのである。つまり都合の悪い部分にはだんまり戦術を決め込み、都合のよいとこ取りをしようとする甘えと言うか厚かましさが出て来るのである。近代文明のもたらした民主主義、自由主義を善とするのを大前提で話しているのが、自己矛盾に気が付くと、下手をすれば民主主義を否定して迄、自分の国の伝統を重んじようとして、屁理屈をこね、プライドを守り通そうとするのである。それでは何等独自の政策を持たない万年野党と同じではないか、日本の集団主義或いは封建主義を善とするのだったら、それにあったエートスと言うものを提案しなければ、近代文明のもたらす均質化の波は防ぎ様が無いのである。
下の文は私が九年前に書いた文章の一部であるが、十年一昔と言うにも拘わらず未だに何も変っちゃ居ない。

 「結局自分が正しいと思うなら、正しい言葉で正しく表現するべきであって、英語で表せないなら、日本語で理解してもらう努力をする必要があるのだし、反対に余りにも日本或いは日本語が特殊だと思い過ぎて、日本に十年も居るアメリカ人に、折角先方が流暢な日本語で話しているにも拘わらず、下手な英語で話し掛けたり、金髪の人には日本の文化が理解出来ないと決めつけたり、その割りには、自分はヨーロッパに行ってクラシック音楽をマスターした積もりになっていたり、余りに身勝手過ぎるところも目に付く。」
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