相対世界どっぷりの日本人

今回これだけ色々25年に亘り日本の特異体質、近代文明の淵源、普遍主義について書き捲り地べたをのたうち回り人生を捏ね繰り回し家族と縁を切ってまで国籍離脱をしハワイで一息ついていた俺のすっかりストレスが取れたというFB上の発言にストレスなんかあったの(笑)と揶揄した大学の同級生がいたので下記のようにFB上で抗議文を載せたら友録を外されてしまった。

「今回高校時代の文集の投稿をお断りしたし購入もお断りした、俺はこの25年間そこいら中に書きまくって50までは自伝も書いている、アマゾンからも3冊電子出版だが出した、人間悩みがあるから書きまくる、それを今回みたいに一言「ストレスなんてあったの(笑)」と言われてしまうのが日本人だと思っている、結局他人の事なんか一切興味がないで自分の事だけ、相対世界にどっぷり、結局日本人の友達なんてその程度だと思う、他人との比較でしか自分を測る事の出来ない日本人は不幸だと思っている、何故俺が日本人をやめたか、思想的な事もあれば家族の事もあれば病気の事もある、俺はFB始めてから理由も告げられず3人の同級生に去られているそんな時に只綺麗事で学校時代の思い出なんて書けると思うかい、そんな日本人が嫌だから国籍離脱したんだぜこちとら。
大体血液ガンで抗がん剤治療で延命してストレスが無いわきゃ無いだろうが、柳田國男の孫として生まれてサイコパスのお袋に育てられて変にならなかっただけでも幸せだと思っている、これでストレスが無いだとふざけるなって感じだ。」

ツイッターで下記のように呟いたが、

"又FBの友録から一人去った、友人を失うのはいつも同じパターン、自分と違う他人の存在が許せない日本人、これも俺の宿命だと思っている、他人には干渉しないが他人からの干渉は正面から受けて立つ、結局国籍離脱は避けられなかったって事だ、蘇生すると必ず叩かれる日本は死んだ振りをするしかない。"

以前日本の特異体質の研究していた当時の阿部謹也先生の下記の言葉を思い出してしまった。

「朝日新聞 平成十年一月十九日付夕刊でも 「伝えるということ」というコラムで以下の様に述べている。

「他者を排除する日本の根」

「中世以前からある恩や義理と結びついた複雑な人間関係がつくる『世間』は、明治以降もしっかり根づいたままだ。その解体なしに日本は変わらない、と考えている。」
「日本の社会、実は世間は、他者を排除する。盛んに国際化といわれているが、私たちが世間という時、そこには世界の人々を含んではいない。日本に暮す外国人も入ってはいない。」

阿部氏は最近の著書「日本社会で生きるということ」 の中でも更に詳しく述べられている。

「ヨーロッパ流の「個人意識」が、日本でもあるかのごとき幻想が、未だにはびこっておるわけですが、実際は、ヨーロッパ流の「個人」というものを、日本で実現するには千年のタイムラグがあり、状況の違いもあります。それよりも、日本の今「世間」のなかにある「個人」というものが、「世間」と「個」との領域を、もう少しうまく設定しながら、「個」の領域を拡げていく。「世間」の解体を、多少もたらすわけですが、「個」の領域を広げていく必要があるだろう、と思うんですね。そうしませんと、いろんな面でこれからの国際社会ではやっていけない。」」

日本人が未開なのは今回の国会のゴタゴタを見れば明らかであり、にも関わらず日本人は日本の特異体質を表層に出ている現象だけ論って原因を追究して直そうともしない、結局原因は普遍主義を拒絶しているからに他ならない。
人類普遍の原理を拒絶し、自然の摂理を無視する傲慢さ、これこそが日本が詰んでいると言う所以であり、ツイッターがエンドレスになる所以でもある。
日本人が何故此処まで頑なに普遍主義を拒絶するのか考えて見たが、それは日本人にとって普遍主義がメタフィジカ(形而上)の世界だからではないかと思った。
結局日本人は自分と向き合わないし、自分を見つめる事がないから哲学の生れようがなく、常に相対世界で生きるしかないのだ、詰まり日本人は相対世界にどっぷりなのである。
大体日本では思想と生活が全く関係ない、何故なら思想が外来だからであるとは加藤周一氏の言葉であるが、
日本人は輸入のシステムを教育システムに至るまで建前とし世間、苛めを本音として残してしまった。
客観の客観視なら猿にでも出来るというように、輸入の考え方は主観になりにくい客観なのである、詰まり建前というものは主観になりにくい客観の事を指すのである。

日本人はこの主観客観という自他の哲学に突き当たると途端に目を背ける、何故なのかそれはこの時点でメタフィジカの世界に入るからである。
日本人が猿のまま死にたくないなら自分を見つめる事である、自分がなければ始まらないのだ、個の確立こそが文明化の入り口なのである、自分を限りなく相対化して個=1を括り出す作業が個の確立である。
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日本人は個の確立が出来ないから神が居ないのだ。

俺がよく自分は25年間もの間地べたをのたうち回り人生をこねくり回して得た結論がオーストラリアに帰化する事だったと言うが、常に控えめに書いているが、25年と一言で言っても只の時間の経過じゃなくて一度に沢山の本を読んで情報を闇雲にインプットしそれがこなれて出て来る迄に時間が掛かる訳で、それこそニューラルプルーリングじゃないが縦横のインデックスが繋がって初めて理解するに至る訳でそれなりの時間を要する。

教科書が無い状態で一つの目的に向かって進むのは容易な事では無い。
まさにユーレカって感じで体感する、並行して進めて来た事が一寸した切っ掛けで繋がったりする。
例えば仕事上編み出した、「国籍を超え、年齢を超え、性別を超える」のスローガンが何の事はないそれ迄追求していた普遍主義の実践だという事に気が付いたり。
最近では『ワンネス』を書いてから25年目にして結局本音と建前が主観と客観そのもので限りなく一致させるべきもので、それらが離れたまま看過するべきではない事に今更ながらに確信したりした。

例えばニコラスクザーヌスの所謂「個は全を包含する」という言葉にしろ、「一にして全なる個」という言葉を体感するのに20年以上の月日を要したりする。
大体、哲学的にリベラルであり政治的にもリベラルになれた事すらオーストラリアに帰化してから実感したものである。
内なる神を探る作業は単なる知識の集積ではない。
神体験ってのは本を読んだだけで簡単に出来るものではない。

個の確立が近代文明ひいては日本人の文明化の要である事を日本人が理解さえ出来たら状況はかなり楽になると思う。
これを平易に解説出来たらどんなに良いものかとつくづく思う、それを日本人は神が居ないから個の確立が出来ないと言ってしまったら文明化の道を断つ事になる。
そこで言いたいのが、神が居ないから個の確立が出来ないのではなく、個の確立が出来ないから神が居ないのだと。

文明化

日本が聖俗未分離の前近代社会である事、近代文明が西洋文明である事から鑑みて近代文明を構築している普遍主義を避けては通れない。
それを避けて通っているのが日本である、結局日本人は文明化したくないとも言える。
だから、近代文明が普遍主義で構築されていてそれに基づいて憲法も普遍主義で構築されているにも関わらず憲法を守れと言うとリベサヨ扱いになる。
普遍主義(洋魂)は避けては通れないのに避けて通ろうとする、洋魂は和魂で代替出来ないのに無視する。
結局普遍主義を拒絶している事に他ならない。
和魂洋才の捻れから逃れる為には洋魂洋才の環境で帰化するしか無いのである。

科学の目的は全能性の追求であり手段は普遍性の追求である。
その両方の追及姿勢の欠如する日本では本来科学の生まれる土壌は欠如し、従って日本の科学は宗教に近い、日本人は科学教の信者であるとも言える。
だからノーベル賞受賞者の根岸さんがインタビューで「真理の探究もさる事ながら科学も大切である」と頓珍漢な事を言ってしまうのである。
科学の目的は真理の探究じゃなかったのか。

一時、普通はとか皆はとか言うと普通とは何だ全員に聞いたのかと絡む人間が跋扈した事がある、そういう人間は必ずや一般論化しないでくれと多様性を主張する、科学の手段が普遍性の追求であり、要素還元主義である以上、共通項で括り一般化しないで科学は成り立たない。

科学の手段が普遍性の追求である以上、科学者こそ普遍主義をもっと知るべきだと思う、普遍性の追求の先に自由平等博愛の考えがあるのだから。

リベラル再考

今迄和魂洋才の捻れにばかり焦点を当てていたが、現在の日本は敗戦により実質上は和魂洋才から洋魂洋才の状態になっていたとも言える。

それもその筈、戦後は柳田國男の監修した社会科の教科書は検定落ちしGHQ主導のソシアルスタディーズになったのだから。
以前も書いたが戦前のらくろ上等兵を読んでいた軍国少年は戦後は鉄腕アトムを読みこぞって科学少年になったのだ。

前回も書いたが、

「今迄は西欧化をよしとしていたので普遍主義礼賛の風潮があった、憲法前文にも人類普遍の原理と謳われていたからなのだがここに来てそれがガタガタと崩れ始めたのだ。
遂に日本人の本音が本性を現した感じである。」

近代文明が普遍主義で構築されていて、それに基づいて憲法も普遍主義で構築されている、日本人の今やろうとしている事はそれを根こそぎ否定する事である。

本来哲学的に普遍主義、詰まりリベラルを前提に保守と革新に分かれるべきところ日本人は何故か革新をリベラルと呼び哲学的なリベラルと混同しているだけでなく、一部マイノリティーが普遍主義を逆手に取って責めてる事も事実ではあるが、リベサヨとして排斥しているのだ。

後は前回も書いたとおりである、

「リベサヨが建前論で攻めればネットウヨは本音で応戦する、これは建前と本音の戦いなのである。」
「然し残念ながら日本にリベラルの生まれる土壌はなくあくまでも建前論なのである、又ネットウヨが頑なに拘る日本は時代逆行であり近代文明を拒絶するものでお互い相容れない。」

「日本人が建前と本音を使い分ける限り日本人に文明化は望めず、和魂洋才の捻れは続くのだ。」
「一つ言える事は日本人は個も論も欠如するので普遍主義、その基本である自他の哲学ひいてはリベラルを導き出せないのだ、従って哲学的にリベラルを前提に保守と革新が機能する土壌も生まれないという事だ。」
「そもそも日本には哲学が欠如しているので、経済的な観点でしかものを見る事が出来ないので、哲学的にリベラルで政治的にもリベラルであるなんてのは日本には存在し得ない、詰まりリベウヨの概念が欠如しているのだ。」

これが俺が国籍離脱した原因でもあり、哲学的政治的にリベラルである為には自由圏諸国に帰化するしかない所以である。

努力虚しく日本は時代逆行してしまったのだ。

西洋人の神とは

(´・ω・`)「道徳的で理性的なイデオロギーへの欲求は西欧文化の一部となっている。かたや日本は理性や普遍的な道徳律よりも人間の感情や人間関係のヒエラルキーをはるかに重視している。」

昨日金ビス先生の引用ツイについ

「それを聖俗未分離の前近代社会詰まり未開の土人と呼ぶって書いてないですか?」

と反応してしまったら、

(´・ω・`)「日本には社会の外に、あるいは上にいて私たたち全てを見守っている唯一神は存在しない。その代わりに、特定の社会的情況にふさわしい行動規則や礼儀作法の複雑なシステムが機能しているのである。」

と続いた。

それに今度は、

「未開だから普遍主義の基本の自他の哲学さえ括り出せないから絶対主が居ないだけで、西欧にだって外側には神なんかは居ないでしょ、神は人間の内側に居るんだから。」

とコメツイしたら、

オランダ生まれのこの御仁に言うてくだされ⇒Ian Buruma「日本のサブカルチャー―大衆文化のヒーロー像 」

と言われてしまった。
ウォルフレンの二番煎じかと思いきや、

「もう古参かと。ジャパンスタディ界隈じゃ定番のおひとり。ライデン大学出てテラヤマの欧州公演きっかけにポンニチサブカルに興味持って、という経歴。写真撮ったり映画批評やったりあれこれやっとらすんですが、もともとジャーナリスト系ですね。」

らしい。

その後の俺のツイ、

"日本の神に関する外国人の記述を見る度に思うが彼らも如何にして神が創造されたか迄は理解してないみたいで歯痒い、何とか日本人自らの手で普遍主義を括り出して欲しいものだ。"

"未だに外人の書いた事が恰も事実かの如く流布するって日本人は恥ずかしくないのかね、結局客観の客観視なんて猿でも出来る事を鵜呑みにしてるって事だぜ。"

"でも西洋人なんて呑気でいいよな、自分らの神が外に居るなんて平然と言えるんだから。"

"日本人は自分らが未開の土人だと言うことを必死で否定するが、本音と建前を離れたままに看過してる限り文明化は望めないと気が付かない、本音は言わば主観建前は客観であり、主観を相対化して限りなく客観に近付けると言うのが自他の哲学普遍主義の基本中の基本だから。"

"でも何で日本人は一足飛びに天の神様にすがりたがるのか不思議だよね、何故自分で神様を見つけようとしないんだ、それも皆カルトばかりだぜ、そんな自分らが恥ずかしくないのか、恥さらしの文化か?"

"この倫理規範の欠如する日本で皆何を期待してるのか俺にはさっぱり理解出来ないんだよな、毎日ここに出て来てああでもないこうでもないって建前論並べ立ててりゃこの癒着談合隠蔽の「理屈じゃない」社会から脱却出来るとでも思ってるのかね出来る訳ないだろうが、胸に手を当てて内なる神に聴いてみな。"

結論として言える事は西洋人も大部分は他人の創り出した神にすがっている事だよ、だから日本人も普遍主義を拒絶するだけじゃなく、自らの手で普遍主義を括り出さない限りいつ迄経っても前近代社会、未開の中世ガラパゴスジャップランドの土人のままなんだよ。

国籍離脱の勧め

「前川さんの会見を見て、個人の尊厳、国民主権という言葉から個の確立の重要性或いは規制に必ずしも反対ではないという言葉からは哲学的にリベラルであり政治的に保守と革新に分かれるという基本理念迄共有出来た事は俺にとって実に意義深いものがあった。」

と以前書いたが、

前川氏の会見ではっきりした事は彼が憲法に忠実であり、基本的にリベラルで保守と革新に分かれる建前論だという事だ。
ところが多くの日本人は普遍主義詰まりリベラルを拒絶しているのが本音なのだ。

リベサヨが建前論で攻めればネットウヨは本音で応戦する、これは建前と本音の戦いなのである。
然し残念ながら日本にリベラルの生まれる土壌はなくあくまでも建前論なのである、又ネットウヨが頑なに拘る日本は時代逆行であり近代文明を拒絶するものでお互い相容れない。

今迄は西欧化をよしとしていたので普遍主義礼賛の風潮があった、憲法前文にも人類普遍の原理と謳われていたからなのだがここに来てそれがガタガタと崩れ始めたのだ。
遂に日本人の本音が本性を現した感じである。

日本人が建前と本音を使い分ける限り日本人に文明化は望めず、和魂洋才の捻れは続くのだ。
一つ言える事は日本人は個も論も欠如するので普遍主義、その基本である自他の哲学ひいてはリベラルを導き出せないのだ、従って哲学的にリベラルを前提に保守と革新が機能する土壌も生まれないという事だ。

これが俺が国籍離脱を決意した理由だが、こんな環境に身を置いたらおかしくならない方がおかしいのだ。

何度も書いたが、西洋人は一時的に心と身体を話して科学、ひいては近代文明を発展させたが、逆に日本人は近代文明により無理矢理に心と身体を引き裂かれ一億総分裂症になった。

「和魂洋才とは外面と内面を使い分けるということである。これこそまさに精神分裂病質者が試みることである。あるいはこう言った方がよければ、ある危機的状況にあって、外面と内面との使いわけというこの防衛機制を用いることが、精神の分裂をもたらすのである。」

かの岸田秀氏も『ものぐさ精神分析学』で書いているではないか。

悪い事は言わない、狂いたくなければ日本を去る事だ。
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