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国際結婚

国境、年令、性別を超える

2000年7月末日の日記より

 今朝ビジネスパートナーから電話でたまたまシティーに行くついでがあるので、シティーで打ち合わせをしないかという申し出があった。今日は女房の学校が昼過ぎに終わるので、帰って来た時自分が居ないのは可愛そうかななんて思ったりして躊躇していると、「奥さんの事がそんな心配なんですか」と言われてしまった。
彼の奥さんは亭主関白の国、韓国の人で、アメリカ系の会社でガンガン稼ぎまくっているキャリアウーマンで家事もこなし料理も上手と、言う事無しなので、彼としては僕の女房の扱い方が甘やかし過ぎに見えるらしい。食事の席に着いた途端にその話になった。彼としては、僕が料理を率先してやるので本当は自分でしたいのに、チャンスが無いのだと言いたいらしい。又、女房ももう子供じゃ無いので放って置いても大丈夫だと言いたいらしいのだが、僕の考えとしては、女房と言うよりも父子家庭の子育て擬似行為みたいなものだと思っているので、彼女が不良をやっていて学び損なった部分を、僕と一緒に居る間に追い付いて貰いたいのである。

 30代の日本人の男性には、オージーの女性と結婚するだけでも珍しいのに、27才年下のオージーと結婚するなんて考えられない事だろうし(今5、6才の女の子が23才になる迄待って結婚するみたいなものです)、本人でさえこれが果して彼女の為になっているのか否か疑問になる時もあるので、矢張り50を過ぎなければ中々それだけのペイシェンスが養えない程、忍耐力を要する仕事でもあり、かなり哲学的になれなければ余りお勧めは出来ず、どちらかと言うと暴挙に近いのです。

 30代の終わり頃から僕は上の標語をお題目の様に唱える様になった。 これは、40才になった時勤めたローラアシュレイというウェールズ発祥の会社で、イギリス人の28才の日本担当の女性が赴任して脆くも崩れ去ったのだが、基本的には今でも守り通している。
 
 国境を超えるというのは、言わずもがな国際化の事である。二番目の年令を超えるというのは、この世の中で年令だけが追い付けない唯一のものだからである。従ってこれは目上の者を凌駕すると言うよりも、年下の人間を受け入れるという事である。最後の性別を超えるというのはセックスではなくジェンダーの意味に於いてであり、近代文明の利便性の下では従来の性分業或いは、性差別を取払い分け隔て無く男女の機会均等を目指すと言うことである。

 僕のジェニーンとの結婚生活も当然この基本原則に則って運営されている。年令を超えるについては、夫婦であるので勿論基本的には対等の地位を確保し、能力、経験に関しては27才分のハンディキャップをジェニーンに与える事によりバランスを取る事にしている。実力或いは能力の違いは天が公平に与えて呉れる訳では無いので、先ず信頼して任せるというのが若者に対しての接し方の基本であり、これについてもかなり心もとなく、最初の内は大丈夫かなと常に戦々恐々としていたのだが、最近は落ち着いて来た。
特に結婚し立ての頃、生命保険の受け取り人が83才の親父になっていたのをジェニーンに変えたのだが、何せ僕が死んだ方が余程金持ちになれるのだから、昔の不良仲間を誘って悪巧みをするんじゃないかと一瞬心配が頭を過ったものである。銀行口座にしてもしかりである。こちらは印鑑を使用しない関係か、配偶者が死んだ場合弁護士を立てて結婚を証明しないと、たとえ未亡人でも旦那の銀行口座をいじれないらしく、銀行は共同名義にする様に勧めて来る。仕方が無いので、共同名義にする事にしたのは良いのだが、こっちに来てしまってから夫婦喧嘩する度に、カードを持って彼女に逃げられたらおじゃんだなと思うと心配で、最初の内は喧嘩する度にカードを取り上げていたものである。この件に関しては彼女も僕に対する評価をぐっと下げた様で、何かあった時に、「もっとジェネラスな人かと思ってた」と言われてしまった。僕もこれは信頼関係を損なう男らしく無い行動であったと反省し、詫びを入れて、以来慎む様にしている。今では口座の管理は全て彼女任せであり、その代わり「金が無くなったらお前が稼ぐのだぞ」と言い聞かせてあり、彼女の方でも学校で経理を学び乍らまんざらでも無さそうな顔をしている。 面白いもので、不良上がりの彼女にしてみれば、日本で出会った変なおじさんが、自分の人生で自分の事を信頼して呉れた唯一の人間で、余程嬉しかったのだろう、言葉には出さないが、存所そこらの日本人より余程義理堅くなって来た。

 性別を超えるについても、今の内は僕の仕事も無いも同然だし、家事の分担が自然に行われているので問題は無い。最初の内は、擦り合わせが旨く行かないで、小競り合いも見られたが、全て話し合いにより解決する事が出来た。例えば、綺麗好きの女房がそこいら中磨きあげるのを最初の内は何もしないでちらかしてばかりいる僕に対して押し付けがましく言ってきたが、好きでやっている部分もあるのだから、自分の趣味を余り相手に押し付けない様にと説得して事無きを得た。日本で一緒に住み出した時から、彼女の栄養の事を考えて、それ迄レトルト食品ばかりで、野菜とか果物を滅多に食べなかったのを改善して、二人でスーパーに買い物に出掛け、和牛のステーキだとか、カジキまぐろのソテーだとかを作る様に心掛けていたのだが、僕が末っ子で母親の傍にいつもくっ付いていたので、料理のセンスが身に付いているのが幸いして、何種類かのメニューをローテーションを組んで食べる習慣が出来た。その時思ったのだが、大体非行化の原因と言うものは家族の愛情不足から来るもので、料理の上手い下手も勿論センスもあるが、親との接触の多寡によるものだと痛感した。それからかれこれ二年経とうとしているが、最近では自分から積極的に何かを作ろうとする意欲が湧いて来たらしく、週に三日位は簡単な彼女の料理で賄えるようになって来たのだ。

 思えば最初シドニーに視察に来た時は、昔の仲間から貰った葉っぱを隠し持っていて、幸い僕が事前に見付けたから良かったものの、これが税関当りで引っ掛かっていたら、当然ビザもおりないだろうし、今の二人の関係は維持出来ていなかったと思う。その時はさすがの私も、烈火のごとく怒り一時は決裂かというシーンも見られ、彼女自身そのまま私に着いて日本に戻って良いものかどうか最後の最後迄迷っていたようである。思えば危ない橋を渡って来たものである。

家族の幻影

 縦横のインデックスが一致していないと気が済まない潔癖さもさる事ながら、日本にさようならを告げる理由を少し纏めてみた。

 阿部首相以下日本会議が立憲主義迄否定しかねないと言う事は実にショッキングな出来事だった。

 家族が上手く言っていたら日本の特異体質にここまで疑問を持つ事も無かったと思うし怪我の功名とも言えるのだが、個の確立されていない全近代社会の日本では家族という世間が社会の最小構成単位なので家族の崩壊は致命的である事だ。
ひょっとして兄にしろ僕に説教をして来る所謂女々しい野郎達も、皆核家族化以来家族という世間が崩壊してアイデンティティークライシスに陥り、定年後10年経っても「うちの会社」といい続けているのかも知れないとふと思った。

 日本では一人で生きる事がシステムに組み込まれていない、それは責任を家族に転嫁してるからに他ならない。
つまり日本では誰にも頼らずに一人で生きる事は至難の技なのである。
これに国際結婚の要素を加えると障壁は一段と高くなる。
個の概念の無い日本では、個人、個性は認められない、詰まり日本では個が無いから家族が崩壊したらお終いと言う事なのである、システム的にも無理なのだ、家族制度こそ廃止されたが戸籍制度しかりである。
家族が上手く行かない時点でアイデンティティー=保証人が居なくなり保証弱者になってしまうと言う事である。
 
 ではその為に家族という世間を死守するかが問題なのだが、これはひたすら終身雇用を信じ社畜に徹するかというのと一緒なのだ。
詰まり家族も会社も所詮は世間であり、個が確立していない社会とはこんなものなのだ。
会社に縛られるのが社畜なら家に縛られるのはさしずめ家畜であり、群れる羊と変わりは無い。
代替えが効く会社ならまだしも家族の場合は致命的だという事である。
 
 言いたい事も言えず長い物には巻かれろ、巻かれなければ命取りにもなりかねない、家族も会社も同じである、個の確立が如何に重要かが判る。
日本人が必要以上に家族に拘るのは丸裸になるのが怖いからに相違無い、それとも既に壊れた家族の幻影を見ているだけなのかも知れない。
帰属する世間を失った人間が生きられない社会は理不尽そのものである。
 
 積極的に個の確立を追求していなくても、たまたま家族が崩壊した消極的なケースでもアイデンティティーの危機は変わらない。
以前自分の場合は自力だから他力の人間とは違うとイ言い切っていた時代もあったが、今から考えればかなり無理があったのかも知れない。
幸い普遍主義そのものは究めたとはいうものの、個も個性も認めず帰属する世間を失った人間すら認めない全体主義の日本では暮らしては行けない。
以前祖父を置いて外国に逃げる事など出来ないとまで自分に言わせたミッション・インポシブルもそろそろ時間切れみたいである。

何故日本人の野郎はこうも女々しいのか

 何故日本人の野郎はこうも女々しいのか、一度ノーと言われれば「君にはがっかりした」と言い、一つ年上ってだけで説教するのか僕には理解出来ない。
そうそう、あの定年後10年経ってもウチの会社がって言う個の確立してない野郎だ、普段は大人しくても酒が入った途端説教口調になる。

 結局日本人はグループアイデンティティーなので僕みたいな無所属の人間を受け入れられないのじゃないのか、日本人の名刺文化を見れば判る。

 次も酒が入った途端に説教口調になる例である。
一度お会いした時次回は酒を飲みながらと仰るので最近酒飲まないからと困っていたのだが、義理もあったので受け入れた途端だ。

僕「実はYさんとは15年前にシドニーでお会いしてるんですよ」
「あの建築家のJさんのハウスウォーミングパーティで」
「Jさんは肩書きある人好きだから以来お付き合いして貰ってないですが」
「だからフェイスブックもJさんが見えたので友録お願いしなかったんです」

相手「その頃から奥様は会計士だったのですか?」

僕「違います、その頃は何でもなかったです」

相手「何でもなかったって事はないでしょう」

僕「只の不良のオージーです」

相手「柳田さんは何なさっているのですか?」

僕「何もしていません。」

相手「何もしてないって事はないでしょう?」

僕「ものを考えています」

相手「せめて本を読んでいますとか言った方が良いんじゃないですか?」

僕「最近は本読みませんから」

相手「ご家族は」

僕「帰国以来会っていません」

相手「・・・・・・」

僕「前の女房と離婚して以来30年以上正月に呼ばれた事がありません」

相手「それは柳田さんが悪いからでしょ」

出たぁ、、これです何も知らない相手に先ずは一撃、

僕「それは僕の家族ご存知ないからですよ」

相手「・・・・」

僕「親族相続法専門の弟に相続も始まっていないのに相続放棄を要求する兄ですよ」

何故僕の家族について細かく話さんといけないんだ。

相手「ご家族はどちらに?」

僕「成城に居ますけど」

相手「何なさっているのですか?」

僕「親父は動物学者、祖父が民俗学者の学者家庭ですけど」

僕「実は僕の祖父はあの有名な柳田國男なんです」
「僕はずっと日本の特異体質についてネットとかで追求してます」

相手「左翼ですか?」

僕「リベウヨです、日本もリベウヨというのを受け入れなくちゃいけないと思ってるのです」

相手「左翼じゃないですか」

俺「考え方はアマゾンで二冊出してますから読んでください」

相手「柳田國男さんの事も良く読んだ事が無いですし、アマゾンの二冊を読んでからこの続きをさせて頂きます」

僕「女房は27歳年下なので子供みたいなものです」と事情を説明すると少し理解したみたいだった。

相手「なんだ僕より一つしか年下じゃないんじゃないですか」

結局女房が若いので若作りの僕を見ると勝手に自分の息子の世代と勘違いして説教を始めたと言うわけだ。

 次もグループアイデンティティーの寂しい老人である、結局帰国してから未だ一年半だと言うのにこれだけ兄と一緒の女々しい個の確立出来ない人間に悩まされる日本は異常だ。


 ある日女房と目黒行きのバスで目黒に向かっていたら、隣に座っていた老人が僕の履いていたカーゴパンツを見て話しかけて来た。

老人「ポケットが沢山あって便利ですね」

僕「収納場所が少ないと財布落としたりしますからね。」

老人「自分も一本持ってます」

 その後、自分はTマガジンのチーフエディターでいつも外国人記者クラブに居るといっていた。
最近は記者クラブの使い方を間違ってるとも言った。

僕「そうですね、日本のマスコミが取り上げて呉れないと外国人記者クラブに直訴する人が増えましたね」
「タイムの英語は僕には難し過ぎてわからないのでニューズウィーク位が丁度良いですね」
老人「ネクストウィークと呼んでましたよ」
と他愛ない会話で始まった。

 隣の席が空いたので別の席に座っていた女房を呼んで紹介した。

老人「なんだ英語喋れるじゃない」

老人「君は何をしてるんだい」

僕「T百貨店に勤めてました」

老人「三流じゃないか三越じゃないと」

僕「慶應の時遊んじゃったのでそこしか入れなかったのです」

僕「三越は中曽根さんみたいに偉い人のご子息じゃないと入れないです」

老人「中曽根さんにもよく取材したよ」

老人「僕はシカゴ大学に行った」

僕「僕も14の時親父についてクリーブランドにいましたが寒い所ですよね。」

 老人は息子はアイクリニックをやっているとリーフレットを呉れた。
因みに娘はチェリストらしい。
結局終始この自慢屋の爺さんを持ち上げる係に徹した。

 家に帰ってググったら公式な情報は得られなかったが自己紹介的なものがヒットした。
学校はシカゴ大学と言っていたが、C大学だった、マーチじゃないか道理で慶応と言った途端少し怯んだ訳だ、何せT百貨店を三流と言い捨てたから国立大学出かと思うじゃないか。
Tマガジンを辞めたのが72年僕が就職した年じゃないか、それ以来Tマガジンをアイデンティティーにしてるてのも寂しい人生だよね。

付き合いの難しさ

 とは言っても元々世間に迎合出来ない性格の為友達付き合いは得意ではない、特に日本に帰国以来先輩に悩まされ果てはバスで出会った老人ですら兄と同じ日本人特有のグループアイデンティティーの特徴が顕著な人間に悩まされ続けた。
普段新しい出会いも少ないというのに何故こうも日本人は干渉したがるのか、一つでも年下だと途端に上から目線になり説教をしたがる。

 フェイスブックでさえ自分の意見を述べる事は歓迎されない、唯他人の投稿にナイスと合いの手を入れる事を要求される。
時には「日本は良いところです」と言わせるべく同調圧力も受けるまるで踏絵状態である。
ある時フェイスブックの友人でもある後輩が僕の「フェイスブックは甘過ぎる」という投稿に反応して直接会った時に「フェイスブックはそういう所なんです」とたしなめられたのには驚かされた。

 フェイスブックで、会社時代の件の後輩が先輩のAさんが会いたがっているので電話して欲しいと言っているとメッセージをくれた。
大学と職場の先輩ではあるが、会社を辞めてから二十三年前に一度出会って家に連れて行かれたのが最後である。
翌日電話して横浜で会う事にした。
東急の後輩と点心を食べているので参加しろと、一人の女性を紹介された。
二十三年振りに会った最初の言葉が「お前暇なんだから、俺の鞄持ちしろよ」である、即「お断りします」と言ったがいささか呆れてしまった。
後で、彼女に自分がコンサルテーションしている会社で講演をする機会を持たせたと得意げに言っていた。
ちゃんと幾らか相手の会社に払わせるから有り難がられるみたいな自画自賛をしていた。
その後A氏が 手伝っている藤沢の英語教室に女房を引っ張り出された、出来るだけ早く義理を済ませたいと思い、電話のあった月曜日がたまたま女房の定休日だったので藤沢まで出向いた。
フェイスブックの後輩にも念の為声を掛けておいた。
「すぐ来たじゃないか」と言うので「義理だけは早く済ませたいから」と言っておいた。
先輩の仕事が済んでから四人で駅前のイタリアレストランでパスタを食べたが、元イタリア駐在員がショボいイタ飯屋で通ぶって違和感を覚えた。
職場の女性が来るかも知れないとしきりに言っていたのできっと職員の溜まり場か何かだろう。
彼はフェイスブックをしてないので何かと便利なフェイスブックを勧めたが、自分は表に出たくないからと頑なに拒否した。

 女房にヒントを得たのか、ネイティブが子供と遊んでやれるだけで良いと、電話で女房の都合を頻繁に訊いて来るようになった、一度月曜日に電話があり女房は休みだけど経理の仕事で忙しいから駄目だと言って断ると、「お前だけ来ても意味無いから」と捨て台詞を残した。
当時女房は既に大手の語学学校でパートで教え始めていたので、わざわざ藤沢まで出向いて苦手な子供の相手させられるのは望むわけも無く、その上休みの日はオーストラリアの前の会社の仕事をオンラインでアルバイトしているので時間の余裕も無い。
女房が忙しいと知るや否や今度は、知り合いのネイティブスピーカーを紹介しろと言って来た、女房も日本に来てから未だ三ヶ月だし知り合いの数も少ないので、居たら連絡するとお茶を濁しておいた。

 その後自分は肺炎で入院し退院した後はその人の奥様が肺炎で亡くなり通夜に行く事になった。

 八月に電話があり、奥様が肺炎だと言う、たまたま自分も肺炎で入院したのでその話で盛り上がった、奥様の血中酸素濃度を訊ねると82%だと奥から本人の声が聞こえた、CRPもかなり高いみたいだ、訊けば肺の大部分が機能していないと言う、「即救急車を呼んだ方が良い」と言ったが、抗生物質を飲んでいると言った。
数日後電話が入り奥様が病院で亡くなったと言う、朝駆け付けた時は既に手遅れだったらしい、

通夜の前日電話があり、女房の名前を確認して来た、スペルと読み方を何度も確認していたので変だなとは思いつつ、名札でも作るのだろうと思った。

翌日鎌倉の葬祭場に行くと、祭壇の前にかしこまって座っていたA氏が、女房に気が付き、J、Jと女房の名前を呼びながら入り口まで出て来て受け付けの前で遠くからわざわざ有難うと言うような内容を英語でまくし立てた。
お孫さん達に対するデモンストレーションかとその時思った。
それにしても不思議だ後輩の俺には一言の挨拶も無い。
食事の時参列した先輩とか後輩と話してると、「英会話学校まだやってるのか」と偉そうに言った。

 九月末だと記憶しているが一段落したか電話があり、神田でドクターHのミーティングがある、Oも来るし、Kも来る、二人とも自分よりかなり若いしよく知らない、何せ自分は早く退職したしと困惑した。
その後席が七つしか無い無いから残念だけどお前は呼べない、女房だけ神田までよこせないかと言って来た。
女房は神田なんか行った事無いし、絶対迷うから駄目だと答えたが、帰り責任を持って電車に乗せるからとしつこい、何とか断った。
大体ドクターHって資金トラブルか何かでHPも閉じてた筈だがな。
 
 次の電話からは孫に生の英語を聞かせたいので鎌倉に来ないかと言って来るようになった。
それからが大変だった、頻繁に電話をよこすようになり、不思議なことにそれまでは全て携帯宛だったのが家の電話に。

 女房はパートで週四日語学学校で英語を教え、空いた日は前に勤めていたオーストラリアの会計事務所の仕事をオンラインでアルバイトでこなしているので簡単に鎌倉迄出かけて行く余裕はない。
最初は金曜日が良いと言うので、女房にスケジュールの変更を手配するように頼んだが、翌日電話して来て金曜は孫が塾なので土曜日にして呉れと言って来た。
語学学校は土曜日はかきいれどきなので事前に予約しないと休みを取るのは難しい、今回は女房に確認して連絡すると答えた。

 女房に確認すると都合つけられるのは十一月月一日か22日の土曜日でそれも四時半頃なら行けると言うのでその旨17日メールにて答え一返事のメールで22日しようと言って来た。
その次の日曜に電話で22日四時半は遅いので昼過ぎに出来ないかと言って来たが、鎌倉迄は二時間掛かるので休みを取らない限り無理だと言うと、「不可能じゃないか」と嘆いてみせた。
大体その理由が娘が仕事を休めないので孫に付き添えないからである、自分の娘が来れないのだったら女房だって来れないと思わないのか不思議だ。

 納骨は確か一〇月の二五日だったと思う。
その前後から翌年一月末に決裂する迄二週間おきに電話が入るようになった。
「奥さん忙しいんだね」、酔ってるのか
「いつか空いてる日もあるでしょう」
「税理士だろ要するに」
たかが税理士の癖に気取るなとでも言いたそうである。
職場からか、「生徒さんの親御さんが娘をオーストラリアの会計学校に行かせるので会わせたかった」
「まぁ時間無いしいいか」

 ある日などひとしきり 英語でまくし立てられ高校の時の同級生が訪ねて呉れるとか、千客万来の様子、いつ鎌倉に来れる、日曜だったら良いのか、泊まって行けよ、何故泊まらなくちゃいけないのかと訊けば、遅くなるからだと言う、人見知りの女房が見ず知らずの人間の家に泊まりたがる訳もない。
「女房と話し合って決めなさい」と偉そうに言って電話は済んだ。

 結局彼が自分の都合ばかり主張するので鎌倉は無理だってなったのじゃないか、彼は月曜と木曜藤沢で英語を教えているので、仕事の前日は家に居たいと言うので、女房の休みの日曜と水曜は駄目と言う事になる。
こちらが頼んでる訳でもなくそんなに女房を家に呼びたいなら女房の都合に合わせるのが常識だろう。

 女房ははっきりと断りなさいと言うが、実に難しい。

 暮れの12月23日にも女房の都合を聞いてきた
来年はコンサルタントやってる会社が忙しい、Tハンズに入れさせたり大変だ、Tハンズってちょっと前に二階堂のYの事を訊いてきたばかりだろ。
31日に泊まりに来ないか暮は鎌倉は静かだと、コタツに入って話せば良いじゃないか、仏壇は無いから。(意味不明)な事を言った。
明日はOが化粧品会社の女性を五人連れて来る。
正月は台湾にでも行こうと思ったが混んでそうなのでやめたと言うと、自分も温泉あたりでゆっくりしようかと考えていたと言った。
余りのしつこさに勘弁して下さいよ、暖かくなってからにしましょうよと言ってしまった。
「そうか一周忌済んでからが良いか」と訳のわからん事を言っていた。

年が明けた
一月二十一日
 今後の仕事の打ち合わせがしたい、A税理士が昨日来た、良いすし屋知ってる、家はでかいから二人で住め、鎌倉鎌倉から通ってる人間もいる、津波の届かない海抜五〇メートルの高台だから安全。

 一月二十六日又酔っ払って英語でまくし立てる英検に皆受かったのでお礼のディナーだそうだ明日一二時頃神田に来れないか、一二時頃電話くれ

 一月二十七日渋谷から銀座線で神田に向かう途中四度ほど着信があるが車内のため答えられず神田に着いてから連絡を入れる返事が無い、その後電話が入り神田に向かっていると言う北口で待つと伝える

 Oと一緒に改札口を出て来た、役員会だったと言っていた大崎は足早に逆の方向に立ち去ろうとしている一緒に飯食わないのかと訊ねるA先輩が「立教仲間の集まりだよ」と言い捨てる握手をして別れるが明らかに困惑して嫌がっている表情であるAが「鞄持ちだよ」と呟いたので耳を疑った、近間のうな丼屋でうな丼を食う、僕は出版したいんだと言うと、出版するより前に講演したりして考えを広めた方が良いとか訳の分からんことを言っていた。
 
 道すがら神社を説明したり、煎餅屋に寄ったり如何にも熟知してる振りをしている手にはショッピングバッグを持ち、今西日暮里に行って来たと言う役員会が済んでから西日暮里に行ったのか、それでは何故未だOが一緒だったのか、母親から頼まれた饅頭らしい母親とだって同居してないだろ、なのに煎餅屋でも母親に頼まれちまったと言っている物知り顔に何代続いてるんだと聞いている六代ですと言っていた家は一四代目だけどと茶々を入れてみるこいつは柳田國男の孫だと始まった自分と同じ物書きだけどこいつは哲学だとか言ってる佐竹神社の前では、A家は佐竹から養子を取らないで伊達から取ったから滅んだとか何とか言っていたAさんは神田の出身なんですかと聞けば、ジャーナリストやっていた時会社がここだったからと言う道すがらドクターHは他の会社に譲ったんじゃないのですかと訊ねると、今じゃ別のブランド(口籠ったので聞き取れなかった)を扱ってるらしいと言った、役員会じゃなかったのか、相談役じゃなかったのか、畳み掛けるようにAさんは何をなさりたいのですかと訊ねる、今話すからと言う、君の奥さんは君にもしもの事があったらオーストラリアに帰るのかいと訊くので、そりゃ日本に居る理由が無いから帰るでしょうと答えると、君の家の財産に興味は無いのかいと訊く、金には興味は無いですよと答えると、偉いねぇと言った。
続いて喫茶店に向かう、そこでも常連面をするが相手にされない、所謂喫茶店のコーヒーを飲む、「今までは出向いていたがこれからは来て貰うようにしたい」と口籠った。
英語学校にはミュージカル担当の女性が居て毎回ミュージカルの発表会をしていると言っていた。
「君の健康の事が心配だから」と強調するので、「心配、心配って僕が血液癌な事すら知らないじゃないですか」と声を荒げてしまった。
「Aさんは人の言う事聞いてないでしょ」
それは認めた、「Aさんは自分の事しか考えていないから」
23年振りに会った人間に「お前どうせ暇なんだから鞄持ちしろよはないでしょう」
「冗談に決まってるだろ」と言ったが、ちょっと前にも聞いた気がしたが。
「大体一度決めたスケジュールを自分の都合ですぐ変更するから」と言えば、あれは只のスケジュールの擦り合わせだとさえ言った、こっちが会いたがってる訳でも無いのに、相手の都合を無視し妥協すればもっと詰めて来る。
「俺は日曜昼間なら空いてるぜ」と言う、それならそれで最初から日曜の昼飯でも一緒にしようと言えば良いのに。
「土日の鎌倉は混んでて外には出られない」遂に本音を吐いた。
何故女房迄鎌倉に出向かなくちゃならないんだと言えば、少し前は自分の英会話の練習の為だと言っていたのを翻して、「君だけを鎌倉に呼んじゃ奥さんが家で一人で可哀想だから」と言う。
「僕一人じゃ鎌倉に伺う気は全く無いし、女房も同じ考えです」と言うと驚いた様子だった。
たまには夫婦で鎌倉観光なんてのも良いのじゃないかと言うので、鎌倉は何度か二人で行った事があるし、休みの度に二人で温泉に行くようにしていると言っておいた。
「女房が英会話を教えているのは金の為ですよ、只じゃない」
「鎌倉に住めって、今の場所は渋谷にも三軒茶屋にも中目黒にも歩いて行けるし、自由が丘も近いからだ」
「病院にも近いし」
「女房の携帯番号教えますから自分で頼んだらどうなんですか」
その時の「奥さんは電話出ないんだね」の一言が全てを物語った。
結局僕の携帯じゃなくて家の電話に掛けて来て、英語でまくし立てたのはひょっとして女房が電話に出るんじゃないかと言う淡い期待があったからだと。

 流石のAも慌てて、「そうだな、引っ越しは無理だ、癌じゃ病院の近くがいいし」と言った。
揚げ足取りあっても仕方がないと言い自分の言ったことを誤解していると言うので、そんな事は無い今迄のやり取りは克明に記録していると答えた。
「藤沢迄行ったじゃないですか」
「そんな事は関係ない」
 機嫌が悪くなり、白内障の眼で「俺はいいんだぜ」と四〇年前渋谷の喫茶店バトーで凄んだ時と同じ恫喝する眼をしたのにはびっくりした。
それから説教が始まった、お前は両方の親と付き合っていないと言うが、自分から見れば変わっているのはお前の方だとか普通親だったらそんな筈は無いとか、俺が家がちゃんとしてりゃオーストラリアに14年も逃げたりしないって言えば、「逃げてたってのは無いだろう」とあくまでも僕を悪者にしたいみたいだった。
僕が「成城に行けば相続放棄を迫られるから行かない」と言えば、「俺は自分に何かあっても大丈夫なようにしてある」と自慢気に言っていた。

 僕のお袋の事とか、女房の家出の事と話すとびっくりして聞いていた。
A教授の親と一緒かも知れない、会った時にそう感じたとか「お前が何かあった時宜しくと言うからってのもあるんだぜ」とも言った。
 同期会に呼ばれて絡まれたから二人殴った話をすると、俺も殴っちまった事があると知らない奴の名前を挙げた。
「でも俺は社長に可愛がられていたから」
「俺には実績があるし」
お前とは違うと言いたげだったので、「僕は今更小売業に何ら未練は無いですよ」
と答えると拍子抜けした様子だった。
「もういいよ、声も掛けない」
「典型的な日本人だな、オールオアナン」
「そうかよ」
「もういいよ」
そうですか、じゃっと席を蹴って去る。

 「奥さんは電話出ないんだね」の一言が全てを物語った。
以前女房に「Aはひょっとして俺が死んだらお前と再婚したいんじゃないか」って言ったことがあった、女房は「気持ち悪い事言うのやめてよ」と言っていたが、以前Aと話した際、女房と結婚してから既に15年目だと言うとひどく驚いていたので、ひょっとして変な事考えているんじゃないかと勘ぐっていたからだ、「藤沢にお前だけ来ても意味が無い」とか「神田に奥さんだけ来させられないか」とか聞き捨てならない言動が目立ったからだ。
特に通夜の席で、遺族席から女房の名前を連呼しながら受付迄出て来て、用意した台詞を英語でまくし立てたのは、孫に対するデモンストレーションにしては行き過ぎているのじゃないか。
その前からAが電話して来るとまるで用意してたかのように英語でまくし立てるのを不思議に思っていた。携帯じゃなくて家の電話に掛けて来るのも、ひょっとして女房が電話に出るんじゃないかと期待してるんじゃないかと疑っていた。
大体鎌倉の自宅に夫婦で泊りに来いとかその上炬燵に入って話し合おうぜって普通言うだろうか。

 10月の電話の着信記録は全て家の電話にだった。
ここまで来ると僕にとっては狂気の沙汰とか言いようがない、奥様を失って気持ちの安定を欠いていたとか、糖尿が悪化して心配だとか色々事情はあるだろうが、ここまで先輩風を吹かせるのは狂っている。
僕がここで言いたかったのは信頼していたA氏が申し出を断った途端に豹変した事である。

英文紹介状

 本来診察日(2016年2月25日)に出来てるはずの病院の紹介状を取りに行ったら待てど暮らせど医者は顔を出さず、思わずヘモグロビン10.4の人間を待たせるのは殺人行為だと言ってやった、そうしたら8の人だって沢山いますだと、紹介状要らないのかというので、俺は紹介状なんて無しで世界を渡り歩く自信があると言ってやった、その場で内容をチェックしろと言うのでみたら大部分日本語の資料で使い物にならん代物だったので諦めてそのまま封をさせた。

 オーストラリアに戻ってから、主治医の予約しようとしたら5月は不在で6月30日迄空きが無いと言われてしまった。
秘書が資料を送れば順番を割り込めると言うので、日本からの紹介状を開封して送ろうとしたら、名前が折角振りがながヤナギタになっているのにわざわざyanagidaに変更してあるし、宛先がnorth sydneyになっているのに、俺がニュージーランドに移住すると書かれていた。
 2月25日の結果が結果が悪かったのを俺がマルクを断ったからだみたいに書いてあった、3月2日に出発する人間の骨髄穿刺をしてどうしようって言うんだ、ここで名前を公表したい位頭に来た、それが俺が頼みもしないのに、自分から英語久しぶりだとか言って、それも診察日に間に合わなくて2度手間させて、もっと酷いのは有償だなんて一言も言わんからそうですかお願いしますって言ったのを、当日看護婦にこれ費用発生するんだよねと小声で言ってるから、俺が有償だなんて聞いてないと言うと、自分には入らないと顔を赤くして逃げ、価格も言わない、会計で8,600円だと聞いて詐欺だと思った、大体俺の主治医に紹介状を書いても紹介じゃないだろうが、頭に来たら名前と病院名を公表する。

日本での最終日

日本での最終日

全ての家財を処分してホテル住まいになったので、区役所に行って住民票等の手続きをしたが、当初スムーズに進んでいる様に見えたが、これは夢に終わった、国民健康保険のキャンセル手続きをした後介護保険のキャンセルをしようとしたが、誰も何処のカウンターに進めとも言わない、介護保険は2ヶ月に一度年金から引き落とされるが、どうもこれは彼らの日常業務では無い様子だった。
やっとの事で窓口を見つけキャンセルを依頼したが、年金事務所と連携してる為に一度通常料金をいつもの様に天引きして取り過ぎの分は後で通知を送り還付金の形で返却すると言う。
窓口の女性に住民票を抜いたので住所が既に無いと言うと、母親に依頼して通知を転送して貰えと言う。
他人に頼る訳に行かないのでこの場で正確な金額を計算する様に語気を強めて言うと、3月2日に閉めて計算すると言うのでじゃあ2日に戻ると言うと、2日の夜に閉めると前言を翻した。
彼女が言うに、年金事務所に引き落としの停止を依頼しても数日掛かると言った。
僕の大声に驚いた同僚の男性が窓口に来て、一度情報をシステムにインプットするとシステムが結果を出す迄何も出来ないと言った。
住民基本台帳の番号で調べられないのかと言うと、あれは機能して無いと言った。

彼等はシステムに使われている

役人はコンピューターシステムに入り込んでデータを変更する事は出来ず、機械が結果を出す迄只待つだけである。
マイナンバーシステムが発表される前に、同じ様に個人の番号で記録される住民のデータベース住民基本台帳というのがあって、住民票を登録した時住民基本台帳を申し込めば年金と連動して何か変更があれば自動的に年金システムも変更されると言われたが、残念ながらどうも機能して無い様である。
これがなぜ起こるかと言うと、システム自体が住民票を抜いて海外に移住する人間を想定していないからであり、彼等の口から出るのは例によって、「貴方の両親とか兄弟に依頼たら」であり、システムの不備は国民の我慢、忍耐によって賄う事を期待しているからである。

介護保険料

介護保険料って絶対なんか裏がある、オーストラリアに転出する時、住民票抜いて国民保険までは案内してくれるけど、介護保険料は聞き回らないと分からない、行ってみても職員の当事者意識皆無なんだよね、大体年金から1/4天引きされるのもおかしい、住民基本台帳番号で自動的にリンクするなんて全くの嘘だ。
日本引き払った時払い過ぎ分即返却出来ないって言うから、住民基本台帳の番号で何とかしろと怒鳴ったが機能して無いの一点張り、年金から直接特別会計に流れてると確信した。
国民保険までは役所の仕事、介護保険料は役所の人間も把握していないお荷物。

住民票の話

 今回は事前にシドニーから以前一緒に働いた事のある不動産会社に電話して帰国してからのアパートの手配を依頼しておいたのでなんとか助かったがこれも奇跡にに近い。
 
 当初世田谷に住居を構えようと考えていたので、新宿で一泊し三茶のビジネスホテルに移ったが環境が劣悪だったので最終的に青山の短期滞在アパートに移り住んだ。

 シドニーの家財道具を引き払いアパートの大家とはたまたまあった屋根の雨漏りのダメージの件で交渉し好条件で引き払う事が出来た。
帰国後真っ先に前述の不動産会社に電話しアポを取り事情を話した、住民票も保証人も無しではいずれにせよ難しいと知った。

 最近は漫画喫茶でも住民票が取れるらしいが、さすがの不動産業者も漫画喫茶の住民票は受付ない、平行して調ていて行き着いた上野の外人専門の短期滞在アパートの斡旋業者も先ずはマンスリーアパートで三ヶ月間位いてそこで住民票を取るのがベストだとアドバイスしてくれた。
 
 最近は大家が保証人よりも保証会社を希望する人が多いとも知った、いずれにせよ66歳の無職の年金生活者じゃ審査を通る筈も無い。
たまたまその会社の専任の物件が上目黒にあり1LDKで50平米で15万で丁度良いのがあったが、社長はもっと家賃の安いのと思っていたので渋っていた。
取り敢えず内見させて欲しいと頼み込み現地に行ったがそれまでの下調べから見ても50平米15万は立地から見ても割安だった。
後から聞いたら元々20万だったのを社長が勝手に15万に下げたらしい。

 もうこれしか無いと判断しオーナーに頼んで欲しいと依頼した、保証人も保証会社も通さず無理だとは思ったが、最終的に礼金を一月分付け、半年分前払いの二年縛りで契約して貰える事になった。
それでもオーナーが銀行の残高証明を出せと言うので仕方なくオーストラリアの共有名義の定期預金証書のコピーを提出してやっと受け入れて貰えた。

 社長から携帯電話位無いと困ると言われたが、住民票無しじゃ携帯電話も買え無い、事情を話してその住所で住民票を取らせて貰い、区役所で登録して保険証迄手に入れた。
最近は住民票だけでは本人確認させてくれる所は少なく、免許証が無い人間は少なくとも保険証の提示が必要みたいだ。
結果的に渋谷にも近く最寄り三駅迄歩いて15分女房の勤めにも絶好の立地だった、まるで奇跡だ。

証明弱者

帰国してみたものの

 平成25年の暮女房とニュージーランドを旅行している時オーストラリアにいても埒が開かないし日本の事も気に掛かるので一度日本に帰るかという話になった。
年が明けてから準備を始め家財道具を一切売り払いアパートを引き払ってその年の3月初旬に帰国した。
保証人も住民票も無い状態で難儀した。

証明弱者
 
 今回帰国して気が付いたのだが、保証人もなく住民登録がない場合日本で暮らして行くのは実に難しいという事だ、専門用語では証明弱者と呼ぶらしい。

 帰国に当たって女房に事前にビザを取らせ正式に配偶者ビザで入国させてやりたという気持ちから、ネットで申請書をプリントアウトし用意してみたが、日本に保証人が必要となっていた、生憎家族との折り合いが悪く帰国する事すら伝えたくないのに、96歳の母親に保証人を頼む事も出来ない、ましてやすぐ相続放棄を要求する長兄など問題外である。
 
 領事館に相談してみても保証人が必要だの招聘者が必要の一点張り、困って日本の役所に相談してみようと電話を調べると法務省は9時から受付ていて、外務省は9時半からだったので先ずは法務省に電話してみた。
法務省の担当者は同情的だったが何せ出先機関が海外には無い、つまり外務省にとっては法務省の仕事を肩代わりしているようなものと段々判って来た。

 オーストラリア人は3カ月は居られるのだから拠ん所無い時は、日本に入国してから14年前と同じ様に写真を提出したら良いのじゃないかと言われた。
続いて外務省に電話してオーストリアの担当者に繋いで欲しいと言ったが、電話に出た女性が長期ビザは法務省に問い合わせろとけんもほろろ取り次いで呉れない、シドニーから電話していて、法務省には既に電話で問い合わせを入れ解決済みと伝え、やっとの事でオーストラリアの担当#者と話す事が出来た。
電話に出たのはいかにも秀才の官僚という感じの好青年、在留資格認定書が提出出来ない場合は出来る限りの書類を提出してみたらどうだ、受理されない事はないと思う、それでも駄目ならもう一度電話下さい、名前は言えないがわかるようにしておくと言ってくれた。
お名前を伺ったがビザの審査官なので名乗る事は出来ない、いずれにせよ二人しかいないからすぐわかると言っていた。
 
 書類を出来るだけ揃え女房と待ち合わせて領事館に出向いたが期待にそぐわず書類を受理して貰えない、電話で外務省に問い合わせを入れて受理しない事は出来ない筈だと言うとその10番の女性と呼ばれる女性は再び奥に入り出てきて何故日本で保証人を探せないか上申書を出せと言う、家族の問題をつらつら書き連ねて再度提出するが内容が不十分と言う事で却下されてしまった。
そこで引き下がるわけにも行かずその10番の女性に審査官と直接話をさせろと頼んだがなかなか聞き入れて貰えない。
やっとの事で聞き入れて貰い、別室で審査官と面談する。
上司とも相談したが最近日配(日本人配偶者の略らしい)の再申請が増えて在外公館では書類完備してないものは拒絶すると言われた。
14年も一緒に暮らしてる女房を日本から呼び寄せると表現する事自体に違和感をおぼえた。

 なぜ90日ビザじゃ駄目なのよとか、あなたが先に帰国して住所を確保して呼び寄せれば良いじゃないかとか日本で会計士の仕事を見つけてビザサポートして貰えば良いじゃないかとさえ言った、望み薄である。
基本的に外務省は短期ビザ迄で長期ビザは法務省の管轄であり、扱いたくないのが見え見えだった。
しまいに、オーストラリア担当者が何言ったか知らないが二人とも自分の後輩だからどやしつけてやるとまで言った。
最後には「これ以上外務省に名前を知られると奥さんの審査が難しくなる一方ですよ」と脅かされてしまった。
結局もう一度外務省に電話しようと思っていたが無駄だと判断して諦めた。

新事実発見(平成二五年一月二四日)

 最近何故か日本の事が気になって、相続が始まったらこの兄弟の状況で参るななんて考えていて、女房にも相続放棄していいかなんて訊いたりして、母親の葬式にも出たくないななんて考えていたら、ふと以前から気に掛かっていた白馬綜合開発が分譲したみそらの別荘地の事を思い出した、どう言うわけか一〇年前の親父が死んだ時の相続リストにも記載されていない、だめもとで会社のHPにアクセスしてみると白馬綜合開発への直接の問い合わせのページがあるではないか、早速問い合わせを入れると昼過ぎに担当の女性が返事を呉れた、ご丁寧にも登記簿写しまで添付してくれた、なななんと、所有権は母親以下長男兄嫁、姪っ子二人に二回に分けて贈与されているではないか、大体何かおかしいなと思うとこれだよ、やっと謎が解けた、祖母が文筆登記した孫四人の土地の長兄の部分だけが、所有権移転していた原因が、僕が母親にその時言った「嫁の分際で先祖代々の土地を売るとはけしからん」と言ってお袋に詰め寄ったのが、いつのまにか長兄が言った事になっていた謎も解けた、買収されていた兄が如何にも反対していたみたいな芝居打ったってわけだよ、あほらしい。

 ここまで馬鹿にされて、僕が協力すると思ったら大間違いも甚だしい、舐めるのもいい加減にして欲しいものだ。
 これは成城の地上げならぬ地下げバブルの発端が、直系の跡取りが欲にかまけて母親の暴走を許したからに他ならす、それでも今だに「誰も俺の事を本家と思っちゃいない」と嘆きながら、他の兄弟に自分が有利に相続できるように、相続が始まりもしないのに相続放棄するという契約にサインしろと言っているのである、つまり彼には跡取りの資格すら無いと言っても過言ではない。
前にも書いたがこの僕より六歳上の兄こそ多感な時期にお袋の浮気現場に踏み込んでしまい、以来親父に自閉症と蔑まれる位のトラウマを背負ってしまった人間である。
今回この事がいみじくも証明されてしまった事は僕が家族に見切りを付ける大きな引き金になった事は間違いない。

今までは僕も例の自伝の中で、

「通常自伝と言う物は、両親との関係のみならず、兄弟との関係迄も記さなくてはいけない処なのだが、これは私自身の「自分学」であり、兄弟との関係は私にとっては、副次的なものであり、両親との関係を抜きにしては考えられないものであるので、ストーリーの中に度々登場する兄や姉の個人的な性格を論評する積りは私には一切無いので、敢えてそれはしない。 私は基本的に自分より若い人間の行く末は、前の世代の人間の責任の下に考えられるべきであり、成人して独立する迄とか、結婚して独立する迄の慣習的或いは制度的なものではないと信じ、いやしくも自分の世代の責任を若い世代に押し付ける事は断じて避けるべきものと信じるものである。 親より先に子供が生まれる事等有り得ないからである。」

と書いていたのだが、段々そうも言ってられなくなって来た、僕も身も心も磨り減らして家族の恥を晒したくはないのだが、日本人の特異体質の一つである、「日本人は年下から物を学び取ると言う事が出来ない」限り末っ子の僕には勝ち目が無いので、反論反感を蒙る事を覚悟で書かせて貰う。
 今回も一時帰国した時長兄が「口では何を言っても良いが、書いちゃまずい」と今回の大津の苛めと一緒の「お前さえ我慢すれば、全て丸く収まる」と言う事勿れ収拾方を採ろうとしたのは承服出来ない。
兄嫁が電話で長兄は母に向かって「貴女のしている事は柳田國男がもっとも嫌いそうな事だ」と言ったと言って居たが、姉の事を容認するなら同じ事じゃないかと思う、姉は良くて母がいけないと言う根拠が欲しいものである。
そりゃ僕が黙ってれば何事もなく過ぎ去るでしょう、僕は何度と無く自分も寛大になって妥協を覚えた方が良いとか、forgivenessってのが必要だとか自分に言い聞かせようとした事か、でも20年来日本の特異体質を追求して来た人間にとって、外部の人間に厳しく接しているのにも関わらず、身内の事だけは放置するわけにも行かないのだ。
 思えばお袋の不正、不誠実を追求したばかりに、彼女の兵隊さん達すなわち我が兄弟姉妹に酷い迫害を受けたものである、今回発表するに至ったのは最後の砦である長兄が既に機能していない事に気がついたからである

長兄に相続放棄を迫られる 続き

それでは本題に戻りたい。

 怒る僕にに長兄得意の「まぁまぁ」作戦、俺の手に自分の手を添えて「ここは何とか自分に免じて収めて欲しい」と交通公社の添乗員宜しく、なんとか僕を抑えて事を収拾しようとする、七時半位になったらお開きにしたいのかしきりに「明日の朝Jを皇居の周りを走らせて、君だけここにいらっしゃいよ」と言っている、何か女房がいたらまずい事があるのかい。
結局今から思えば僕が死んだ後女房に権利を主張しないように説得しようと思っていたのじゃないか邪推してしまう程怪しかった。
 後で判ったが姉は長兄にとってはお客様、相続を諦めて下さった大事なお客様を批判する事なんて出来ない、何のことは無い僕に揉み手をしてにじり寄っていたのも相続を放棄させようと思ったからだけだ、「君は分家なんだし、特別に考えている」などと配慮している態度を取っていたが、前回長兄が「相続が確定した後に財産の移転はまかりならない」と激怒したマンション事件の後千万円補填して呉れた後に、「よんちゃんの住む所を買うなんて言ってたのよ」と義姉から伝わって来たが、僕が渡豪してしまったので立ち消えになったじゃないか、結局日本に資産があっても子供の居ない俺らにはオーストラリアに持って来るわけにも行かないし、買ってくれるならオーストラリアに買って欲しいものである。

 大体、父の相続が決まった後母親と僕が共有名義で物件を買おうとする事にまで激怒するものなのか。
今回もその場で僕が「僕は子孫がいないから何もいらないんだ」と立場を表明した時も、女房の方を向きあごをしゃくって「が、いるじゃないか」と言ったのも得体の知れない白人の女房が僕が死んだ後一族を連れて権利を主張してくれる恐れへの危惧ではないのかと邪推してしまう程である、邪推ではなく図星なのかも知れないと最近女房と話して思った。
 まぁ今回の事で長兄の真の姿が浮き彫りになった、僕が離婚して家を追われ小手指にマンションを購入した時だって、お袋に繋ぎ資金三〇〇万借りた事にさえ烈火のごとく怒って反対した長兄の事である、僕はお袋に五万の利子さえつけて三〇五万即返金したと言うのにだ。
 僕は最初から長兄の事は言いたい事も言わずに応援も表明していた、柳田家シドニー分家として本家を支える気持ちは打算的なものでは一つもない。
今回だって義姉には電話でサポートを表明していたし、それだって今に始まった事でもない。
その為に二時間も早く長兄との時間を設定して貰った位なのだ。
僕が「僕の取り分から長兄のお小遣い位出しても良いと思うくらい心配している」って言ったのも損得抜きに心配していたからに他ならない。

 僕が唯一つ問題にしたのは、僕の二十年来の希望である「柳田國男で社交しないで欲しい」と言う願いが『洋画家南薫造 交友関係の研究』で悉く裏切られた事である。
その答えはこうだ、「柳田國男のシンポジウム等色々イベントがあった」、如何にも自分の名代で行かせた風に取れるような発言だが、姉が長兄の許可を事前に取ってないのは姉からのメールからも明白である。「そういった人間も必要だからな」、それじゃ母親が今やってる事だって同じではないか、普段母親に「貴女のやってる事は柳田國男が一番嫌いそうな事だよ」って発言はどうなったんだ、矛盾してるではないか。
姉の「私は読んでないけどね」の発言をいびりだと言う僕に兄は、「あれ位でいびられたと思うのは考えすぎだよ」と言い。

 「君はお爺さんと一緒で、縦横のインデックスが繋がってないと気がすまないのよ」と、さも僕の文章を読んでいる事をほのめかすように言った。
「為ちゃんともそっくりだ、僕にはそういった所が無いから救われた」とも言った。
「為ちゃんはそれ程賢くはない」
「そうかい」
自分にはそういったところが無い割りに、神経質で萎縮しちまってるのはどういう訳だ。
自分のまあまあ作戦が功を奏しなかったので兄は興奮し、僕の「じゃあ、あの姉の態度を容認するのですね」と言った言葉に切れた、「俺だってこの家の事はうんざりしてるんだよ」
立ち上がって威嚇するが、もともとのちんちくりんが痩せたのでみっともない、「大体本家だったら姉のあの態度をたしなめる事位出来ないのか」
「誰も俺の事を本家なんかと思っちゃいない」
「俺は思ってるぜ」
ただ一人の分家を相手にこんな事言って、本家ってのは分家に対してある言葉なんじゃないのか。
僕が「日本に帰る度にこんなにいびられて迄相続放棄に判付くのか」と言うと、「これくらいでいびられたと思うのは敏感すぎる」と言い、義姉に向かって「芳秋が判付かないって言ってるぞ」と泣き付き、義姉に「よんちゃんは、何しても文句は言わないと言って呉れてるじゃないの」とたしなめられる始末みっともない。
 僕は父の生きてる間中一貫して「この土地なんて残す必要は無い」と言い続けて来た、最初の相続で僕が目くら判を付いたのも、母の乱費癖では何も残らないと踏んだからに相違ない。
それを知ってか知らでか、次兄に「今頃になってのこのこ戻って来やがって」と言われながら、自分だったら母とも上手くやれると、それこそのこのこ戻ったのは自分ではないのか。
それが証拠に最初の相続の後だって「こんなに自分に多く相続させて貰って申し訳ない」とか言って、皆に感謝の意を表明していたのは何処の誰だ。
結局これは長兄は母親の甘い言葉に乗せられて、将来自分が相続すべき部分への名義変更をして、謂わば密約を交わしていたとも言えるのだ。
その後米国に居た姉、早稲田に居た次兄を説得して判子を付かせたまでは良かったのだが、末っ子の僕は判子を付かなかったのだよ。
だから最初の相続の時、あんなけなげな言葉を吐いたのじゃあないのかい、大体銀行から借金してマンションを建設するって事はそこの上がり、つまり家賃から返済していく事が前提なんでしょ、それをその建物を相続した上に連帯保証までして、自分の金で借金を一億五千万返済したってのもおかしいでしょうが。

 話がマンションのテナントが入らないと言う件になり、結局建築確認が取れていない為に、今流行りの保育園には都から補助金が出る為に建築確認が無いと貸し出せないと言う事が判ったと言う話題になった。
あれが違法建築である事は僕が会社をやめて不動産屋をしてた頃から話題になっていた、母が屋上の貯水タンクの見場が悪いと勝手に地下室を掘ってそこに設置した為に建築確認が取れなくなったと確か当時も話題になった筈である。
母が宅建主任を持っていたM農林の担当者と秘密裏に不動産管理会社を設立しようとしてた時だって、M農林の重役にこれは双方代理であり背信行為だと言って、その担当者が僕に飛び掛って来ようとした位である。
僕が「あそこが違法建築なのは僕も知っていた、僕は建築家のFさんにその件を言ったら彼がむっとして、違法建築じゃない、と言ってたぜ」と言うと、「教えて呉れなかったじゃないですか」と長兄が言った。
大体その頃は皆で僕を悪人に仕立て上げて追い出しを図っていたではないか。

 僕が成城に見切りを付け、建てて貰った家の家賃の半額を貰うと言う約束で豪徳寺に引越し、それでも家賃が高すぎると今度は大蔵五丁目に引越しをさせられ、引っ越すたびにカーテンを替えなくちゃならないで出費がかさむ、それをある時長兄にいったら「カーテンなんか自分で払うのが当たり前だろうと」怒鳴ったが自分は自分で家賃払った事が一度でもあるのか疑問だ。
 
 兄弟が自分なら母親と上手くやれると次々と乗り込んで来たのは僕が成城を撤退した後である。

 「お父様が生きてる内は絶対にこの林は切らない」とお袋が断言していた土地に養子に出た次兄があのM農林を使って地下室付きの家を建てたのだ、その頃母は乱費癖で資金減になったからか、養子に出た次兄に土地を売って金を取ろうとしていたらしい、結局は踏み倒されたらしいが、実の息子に土地を売ろうとする方も売ろうとする方である。
 大体成城に家を建てる事が決まって、次兄は代田の姉夫婦のところに挨拶に行ったらしい、その時に僕と母親の関係を「畜生道じゃないのか」と言ったらしい、その時姉はこれは自分が母親と出来ていたので弟もそうじゃないかと嫉妬したに違いないと思ったと言っていた、その時、弟に勝ったと明言したらしい。
 成城は昔古戦場だった為に地下を掘ると必ず主人が死んだりとたたりが起こると言い伝えられて来た、それをよりによって民間伝承の本家で続けざまに地下を掘ればそりゃ祟るわなと言う感じである。
今回も長兄が「お前が柳田國男の生まれ代わりならなんとかしろ」みたいな事をわめいていたが、柳田國男の名誉こそ守るが下らない欲の権化達まで守る積もりは毛頭ない。
柳田國男が養子先の金の事ばかり心配する義母に「そんなに心配なら壷に入れて床下に穴を掘って埋めておきなさい」と言ったのは有名な話ではないか。
柳田國男の事を何も判っていない、ましてや生まれ変わりにこの態度を取ったら救いようも無い。
僕が思い余って、「大体最初に文筆登記されていた土地の等価交換に判子ついたのがいけないんじゃないか」、「僕があの縁側で、僕が判子つかなけりゃ土地は売れないのですよと言ったじゃないか」と言うと、兄と義姉二人が口を揃えて、何年の何月何日だ、とまるで子供のように言い出した、今でも覚えているが、その時「なんだそんな事も決断出来ないのか」と兄に迫ると、「俺は人一倍気が小さくて何も出来ないんだよ」と言ったのである。
「俺が三八の時だと思う」
「一九八六年だ」と次兄の兄嫁が口を挟んだ。
「大体あの縁側で話しただろう」
「どの縁側」と二人の兄嫁が口を揃える。
「遠野に移築する前の家の縁側だよ」
しょうがないので税理士から電話で印鑑証明を騙し取られそうになり、預けていた実印を忍び込んで引き上げたから事件が発覚した事まで説明した。
まるでリンチである、長兄は得意の日記を奥の部屋から持ち出して来て、これに重要な事は書いてあると言う、一九八六年のを取り出し、「お前が調べろ」と言う、何で俺が調べなきゃならない、酔っ払っていると指摘すれば、「酔っていてこんな日記まで取り出して来れると思うか」と言う有様、まるで生前の父親の醜態そのものだった。
その内少し思い出したのか、
「俺の持分はこっちに飛んでいたんだ」
 これなんかハワイで捕まった俳優のKが知らない間にパンツに葉っぱがって言う程度の言い訳だろ、やっぱハワイ仲間だから阿保さ加減も似てるのかもね、判もつかないで所有権が勝手に移動する訳もない、これだっておかしいよな、後述するが二度に分けて白馬の土地贈与して貰っていて、自分だって文筆登記の部分の名義交換に判子付いてるんだろ、
 僕がM子と付き合いだした時、「俺はM子があのアパートに引っ越して来た日を克明に覚えている」と言って僕を苛めた人間が、一番重要な事を覚えていない筈もない。
僕が「そんなに大変だったら処分して楽になって長生きした方がよほど良い」と言えば。
「じゃあお前が売れと言ったから売るんだぞ」
「お前の責任だぞ」
「の責任だぞ」
もうここまで行くと言語道断、國男流に言えばリディキュールである。
 その時同時にビルを区分所有出来るようにして売ったらどうなんだと提案すると、長兄が「あっちは大丈夫なんだよ」と言ったのに戸惑ったが、結局ビルは自分が相続したもので、自分が管理してるから大丈夫だという意味だったらしい事が後で判って来た、結局ビルを担保に借金して建てた物件を居抜きで相続して自分の収入で一億五千万借金を返済したから一億五千万で買ったも同じと言う論理は何回も言うが成り立たない。
大体、欲の皮の突っ張った長兄は、民俗学研究所のあった角地の方が余程重要であるという認識が欠如してる事を露呈しまったのだ。
「それでいいんだな」
「それでって、言わなきゃわからないだろうが」
「言わない自由だってあるんだ」
最後に長兄は致命的な言葉を吐いた、
「お前の取り分なんて関係ない」
「何の為にこんなにご馳走用意したと思っているんだ」
「だからちゃんとお土産用意しただろうが」
この何品にも及ぶ義姉のご馳走が相続放棄に判を付かせる賄賂たったとは知らなかった。結局は自分の土地を守りたいだけだろうが。
「自分が死ぬまではこの土地を保持したい」と言う大義名分の為に、「自分は贅沢は一切しないから」、、、、、「だからこの角地の相続を放棄する書面に判をつけ」って論理は成り立たないだろう。

 大体相続放棄なんて相続が始まらなくちゃ出来ない、その前に書類に幾ら判をついても無駄である。
今から思えば完全に仕組まれていたって感じだ、姉の登場にしろ弟を寄ってたかって抑えようとする悪巧みだろう、あのニコニコ顔だって暴力バーのホステスが必要以上にニコニコするのに似ている、料理にしろそうだろ、韓国バーで頼みもしないフルーツが一人に一皿出されるのにそっくりだろう。
 僕が善意で贅沢がしたくても出来ない長兄に自分の取り分からお小遣い位捻出しても良いと言う気持ちまで踏みにじったへたれ、これじゃ子供が喧嘩の時、絶対だな、神に誓うな、個人の自由だって言うのと一緒じゃないか。
 まああの母親と一緒に住んだら気が狂うってのも理解出来ない訳ではないが、その狂った女の連帯保証人をやるなんてのは気違い沙汰であり、連帯保証をしておいて、俺が借金を返したのだから一億五千万でここを買ったと言う論理は成り立たないし、連帯保証は一やめたと言えないから皆悩んだりするのじゃないのか、結局母親を過信し、自分なら上手くやれると思い上がった過信が命取りになったと言える。
この三年前に僕の宙に浮いた銀行口座の件で、「どうする事も出来ない」と冷たく言い放った時から、この小心者は常に家族より体制側で、会社で習った要領を家族に応用するしか出来ない卑怯者とは思ってはいたが、結局はそこ迄の男だったって事だ。

 今回も女房に英語でも教えさせて日本に住もうかと考えている、隣のBみたいなところでと言った途端に「それは判らないけど」とまるでコネで口利いてくれと俺らがいってるみたいな態度である。

 「まあまあで事が解決出来れば世話無いわな」と一言を残して僕らは成城を去った。
大体分家あっての本家であり応援を惜しまないと言っている分家の弟を信用しないで、常に自分の取り分の事ばかり言ってる姉とつるんでいるってのは、最初に母親が東大生とまぐわってる現場に踏み込んでしまい、姉に「ママってのは本当に悪い人なんだよ」と報告した時から変わっていないと言う事であり今回の長兄の言動は致命的なミスである。
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